野村克也
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野村監督が選手を褒めないのは「出来て当たり前」だから
僕は現役時代、野村監督と一対一で話したことはほとんどありません。正捕手の古田敦也さんは、よく監督と話していましたが、他の選手も僕と同じだったのかもしれません。作戦面の指示は別として、個人的な会話はほとんどありませんでした。その代わり...
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野村監督が指示 幻に終わったフォースボークと本盗の奇策
「奇策は弱者の戦法」 野村監督は、かつてこう言っていました。90年代のヤクルトが弱かったとは思いませんが、監督は常にさまざまな作戦を考えていました。 そのひとつが「フォースボーク」。走者一、三塁で相手投手が左の場合に限...
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未経験なのに…突然の二塁起用に「はい」としか言えず
今でも本当のことなのか、信じられない思いでいます。 今年2月11日、恩師の野村克也さん(享年84)が永眠されました。突然の訃報に「まさか」と、頭の中が真っ白になったのを覚えています。だって、僕はその2週間前にヤクルトのOB会...
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楽天三木監督が語ったノムラの教え「野村野球=準備野球」
日本ハム、ヤクルトでコーチを歴任、昨季の二軍監督を経て一軍を率いる三木肇新監督(42)。チームは前任の平石監督が最下位からAクラスに導いたが、1年で退任した。その直後の監督就任でプレッシャーはあるのか。キャンプ中に複数回行った非公開...
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野村克也氏が史上最高のプロ野球OBであると断言できる根拠
金田正一、高木守道に続いて、野村克也(いずれも敬称略)までもが鬼籍に入った。お三方とも昭和のプロ野球を代表するレジェンドプレーヤーだったが、野村克也についてはそれ以上の存在だった。投手の分業制やデータの活用、配球の重要性など、現代プ...
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球界随一の理論派がなぜ一生の伴侶に沙知代夫人を選んだか
初めて沙知代夫人と会ったのは1995年、神宮の室内練習場だった。彼女は港東ムースというリトルリーグのオーナーを務めていた。 野村監督は時間があれば顔を出す。連れだってリトルの練習を見ていたときのことだった。 沙知代さ...
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ドラ1伊藤智仁は「投球美人」名言を生む“非野球人”の発想
「ひまわりと月見草」に代表される、野村監督の表現力は秀逸である。 なぜ、野球人が、こんな名言を繰り出せるのか。原点は、優れた観察力にあったと思う。それを言葉で表現する能力があったからで、ことは野球に限らない。 「投球美人...
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最期まで頭脳明晰「野村流ボヤキ」の健康効果を医師が解説
11日に虚血性心不全で亡くなった野球評論家の野村克也氏(享年84)の代名詞といえば、ボヤキだろう。自らを「口ベタ」と称しつつも、最期まで野球解説の切れ味は鋭かった。亡くなるまで頭脳明晰で、社会問題となっている認知症とは無縁だ。脳を元...
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理想の打順を「1番から9番までイチロー」と答えた野村監督
「王になあ、みんな持ってかれた。本塁打、打点でしょ。オレの記録なくなっちゃった」 通算打撃成績を、5歳下の後輩・王に抜かれた。そのことを話すのに悔しそうではなかった。しょうがないよと、あきらめた口調で反発心などみじんも感じさせ...
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“犬猿の仲”の本当の関係 野村監督は長嶋監督嫌いだった?
野球人として、野村克也の対極にいたのは長嶋茂雄だった。 長嶋は野村にないものをすべて備えていた。野村は長嶋にないものを持っていた。長嶋は意識しなかったが、野村は強烈に意識していた。「月見草」と「ひまわり」が、長嶋でなく、野村...
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ノートのコピーが自らの首を締め…功名心に負けた阪神時代
阪神監督時代、最大の失敗は「野村ノート」に象徴されると思う。 ヤクルト時代、首脳陣へ配られた「野村ノートのコピー」が、阪神で大問題になった。 阪神監督1年目。キャンプイン前日、信じられない異変が起きた。記者相手に野村...
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ホテルで2人お茶を テーブルにあった書きかけの野村ノート
「あっちへ行け」と言われたのがウソのようだった。ヤクルト監督2年目のユマキャンプ、練習休みに監督の部屋へ押しかけて、2人でお茶を、ということが許された。 ヤクルトの宿舎は、スターダストホテルといった。監督にはスイートルームが用...
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誰でも野村を好きになる 巧みな話術と照れと含蓄の魅力
野村監督ヤクルト1年目。米ユマでのキャンプ初日に取材拒否を食らった。「あっちへ行け」と、通告されたが、日本に戻って宮崎・西都の2次キャンプでは「気をつけて帰れ。いい原稿書けよ」と声をかけられるほど、関係は修復していた。 1カ...
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ヤクルト時代の広報マンが追悼 裏方に優しかったノムさん
(杉村繁ヤクルト打撃コーチ・当時広報) 野村克也さんの下で選手としてはプレーしておらず、専属ではありませんでしたが、広報として9年間、一緒にやらせていただき、思い出はたくさんあります。 本当に野球が好きな方でしたね。就...
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野村監督殺人事件 本人の逆鱗に触れ取材拒否を通告された
「日刊ゲンダイ? オマエんとこはノースピークや」 初対面の挨拶で、いきなりぶすっと言われた。 野村監督ヤクルト就任1年目。アリゾナ州ユマ・キャンプ初日。クラブハウスの前で、報道陣が監督を囲んでいる。その前で取材拒否。さ...
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神宮球場の一塁側ベンチで野村監督が語った“理想の死に方”
「優勝決めた瞬間、ベンチで死んでいる。みんなが気づいたら死んでいた、っていうのがいいね」 ヤクルト監督時代の神宮球場、一塁側のベンチで、野村監督がポツリとこう言った。 「最後までユニホームを着て死にたい。理想やな。え、無...