石田純一
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息子の壱成に伝えた、役者としての「声の出し方」
俳優からなぜ、ニュースキャスターへの道が開けていったのか、を前回書いた。 もともと安倍晋三さんとは知り合いだったし、テレビ局の報道畑の人を紹介されたりして僕の別の一面を見てもらった。そんなところから、さまざまな仕事のオファー...
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安倍晋三さんとは若いころからの付き合いだった
超多忙を極めた日々はあっという間に過ぎていく。テレビドラマ、映画、舞台と駆け抜けるような1990年代前半が過ぎると96年のアトランタ五輪が間近に迫ってきた。この頃、僕には転機が訪れた。俳優一本ではなく、ニュースキャスターの仕事が時々...
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ポスターが盗まれた時、父はしみじみ褒めてくれた
人気が出てきたものの、忙しくて遊ぶ暇もない。寝る時間もない。お金をつかう機会もない。 殺人的なスケジュールに追われていたことは前回までに書いた。 とはいえ、しみじみよかったなと思うことはあった。父から認められたのであ...
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人気があってもモテなかったのには理由がある
人気が出てきて、どこか変わったことはありますか、と連載の担当者に聞かれた。 前にも書いたが、行くところ、行くところで、人だかりができてしまう。警察が出てくる騒ぎになったこともあり、家族が怯えた。 さぞや、モテただろう...
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ある朝起きたら、世の中がガラリと変わっていた
1989年、フジテレビで「同・級・生」が始まった。柴門ふみ原作の人気漫画のドラマ版だ。主演は安田成美。緒形直人、山口智子らに交じって、僕も出た。 いろいろな意味で思い出深い仕事となった。最初の3話くらいの視聴率は平均で13%...
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松原千明ちゃんとの結婚と死
松原千明ちゃんとは1988年に結婚した。ちょうど、「抱きしめたい!」のオンエアが終わるころだ。もう撮影は終わっていたので、一緒にフィレンツェに行き、式を挙げた。 派手な結婚式はしなかった。僕が2度目だったこともある。記者発表...
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石田純一は「不倫は文化」だとは言っていなかった
「父は文化好きで、オペラ、クラシックが好きでした。家中にレコードがありましたから」 石田純一さんと会った。 “文化”という言葉は石田父子のパワーワードなのだろう。 週刊女性の名物連載インタビュー「人間ドキュメン...
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今も現役バリバリで活躍するフジテレビの演出家・河毛俊作さんの魅力
「抱きしめたい!」の演出を担当したフジテレビの河毛俊作さんは今年の9月で72歳になる。僕より2つ上だが、バリバリの現役だ。フジテレビのドラマ制作センターのエグゼクティブディレクターで、つい最近も宮藤官九郎脚本のドラマ、「新宿野戦病院」...
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物議をかもしたフジテレビ「抱きしめたい!」での即興“”クーパーポーズ、でも…
フジテレビ系のドラマ「抱きしめたい!」の第1回、浅野温子さんが演じる池内麻子が気に入っている僕は食事に誘った帰り道、麻子をきざなクーパーポーズで見送った。人さし指と中指を揃えて、眉毛に触れて、敬礼のようなしぐさをする“アレ”だ。 ...
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浅野温子があまりに可愛くて…フジ「抱きしめたい!」では台本にない「クーパーポーズ」を
1988年、フジテレビ系のドラマ「抱きしめたい!」の撮影が始まった。キャストは浅野ゆう子、浅野温子のダブル浅野。岩城滉一、本木雅弘らスターがズラリ。演出は当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった山田良明、河毛俊作の黄金コンビ。 今でも...
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フジテレビのトレンディードラマ「抱きしめたい!」出演までの壮絶な裏話
1988年の春、一世を風靡した「君の瞳をタイホする!」。浅野ゆう子が人気を博したフジテレビ系のトレンディードラマだ。勢いにのるフジテレビは、同じく浅野ゆう子を起用したトレンディーものを夏に作ることになった。「抱きしめたい!」である。...
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事務所にはきっぱり「2時間ドラマではなく、フジのドラマを狙いたい」と明言した
所属事務所の本間社長に「あと1年頑張ってダメだったら、役者をやめる」と啖呵を切ったのが1987年の9月。しかし、仕事が来なければどうにもならない。ドラマの仕事はぽつぽつ来たが、2時間ドラマなので評判にはならない。秋が深まり、冬になっ...
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窓辺に腰掛け、月を見ながら「俺は情けねえな」と呟いた
ぽつぽつと仕事は増えているのに、モヤモヤする。何か迷いがあって集中できない。1980年代の後半はそんな悩みを抱えていた。確か、87年だったと思うが、田原俊彦さんの「ドラマ特番」に呼ばれた。その時、ちょっと風邪気味だったが、それほどで...
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木下恵介監督に起用され、長いセリフを一発OK
「演劇集団 円」が分裂し、「スカイコーポレーション」にお世話になることにした僕は来る日も来る日もオーディションを受け続けた。藤田敏八、根岸吉太郎ら大御所と顔見知りとなった。日本テレビのドラマ「俺たちは天使だ!」にも出た。沖雅也主演、柴...
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芸能事務所の社長には「三浦友和のNGみたいな子はいらないのよ」と言われた
「演劇集団 円」では研究所所長だった渥美国泰さんと劇団本体が揉めていた。渥美さんは独立し、アクト青山ドラマティックスクールを立ち上げる。研究生はこぞってそちらに移ったが、僕は最後に思うところがあってとどまった。「演劇集団 円」には所属...
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水商売のバイトをすると「匂い」が付くと思って皿洗いに
話をもう一度、「円」に戻そう。日本に戻っても、就職口がなく、「演劇集団 円」の研究生になったのだが、これは就職ではない。研究生はお金をもらえるどころか、「授業料を払う」のである。もちろん、正式な劇団員になれれば、出演料をもらえるが、...
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最初の結婚は一発必中のできちゃった婚
ここで話はちょっと相前後するが、最初の結婚のことを書こうと思う。実は早大商学部時代、できちゃったのである。それも一発必中だった。それで生まれたのが最初の息子、いしだ壱成である。 「できた」と言われたとき、世間の男がそうであるよ...
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「映画をやりたい」「だったら本場で」とアメリカに留学
池袋駅の東口を出て、線路沿いに歩いていくと、猥雑な風景が広がる。今でこそ、きれいになったが、僕が大学生だった1970年代の前半は雑居ビルに怪しい店がひしめいていた。2、3分歩くと文芸坐がある。個性的な映画を見せてくれる貴重な場だった...
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高校時代は恋愛は苦手…愚図でふられた
こうして学生時代の思い出を書いているうちに、担当者から「石田さん、女性の話がなかなか出てきませんね」と言われた。ませたガキだったんじゃないか。ナンパに明け暮れていたのではないか。そんなふうに見えるのだろうが、正直に言うと、恋愛は苦手...
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300人に1人の難関校にいけたのは偶然の運
この連載の冒頭で、都立青山高校の同窓生の活躍ぶりを書いた。70歳になれば、「あれっ、誰だっけな?」とわからない同級生の方が多い。でも、みんな意気軒高。集まれば、刺激を受ける。学年の半分くらいが東大に行く優秀な高校だったが、僕は内申書...
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“伝説の殺陣師”高瀬将敏さんに生前「石田はケンカが強い」と褒められた
その瞬間、太ももに激痛が走った。黒い制服がどんどん、濡れていく。かなりの出血なのがわかった。ナイフを突き刺されたのである。 それはケンカの名門、私立K舘との殴り合いだった。よく覚えていないが、K舘の近所の私立の学生をぶっとば...
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野際陽子さんから「あなたよりお父さんの方が10倍格好良かった」と言われた
小学校時代にワルだった僕はずいぶん、母に迷惑をかけた。父に告げると怒るので、学校に呼び出されても内緒にしてくれた。 とはいえ、父は手を上げて、怒鳴るようなタイプではなかった。家では無口で、まじめな仕事人間だったと思う。いや、...
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小学校時代は暴れん坊に混じって悪ガキだった
6歳まで米国にいた僕は、NHKに勤めていた父の転勤に伴い、日本に戻った。今度の赴任先は大阪で、寝屋川市にあるNHKの寮に入った。映画に出てくるような豪邸が並ぶメリーランド州タコマパークからの引っ越しは、タイムマシンに乗ったようだった...
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なぜ僕は、安保法制反対のデモに出かけたのか
安倍政権が集団的自衛権を行使容認する安保法制を通そうとしたときに、居ても立ってもいられなくなった僕はデモに参加した。戦争だけはしてはいけない。世の中のほとんどの人は戦争をしたくない。それなのに戦争がなくならないのは権力者の野望やエゴ...
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芸能人が老けないのはちゃんとした「理由」がある
芸能人は老けないと思っている方も多いだろう。どうせ、なにかやっているのだろう、金をかけていれば、そりゃ、老けないよね、などという声が聞こえてきそうだ。もちろん、体が資本なのだから、皆、それぞれ努力、苦労はされているとは思う。それは認...
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「金スマ」登場の石田純一“軽さ全開”でも《相変わらず人が良い》《コロナバッシングの犠牲者》の声も
石田純一(70)が8日放送のTBS系「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」に妻の東尾理子(48)、娘のすみれ(33)ともに出演。2月2日放送のママタレSPで、理子が暴露した石田の問題発言「俺じゃないと離婚されてるぞ!」について釈明した...
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壱成の母、最初の妻まりちゃんの影響もあり自然食に目覚める
僕の食生活に影響を与えたもう一人は、最初の結婚相手のまりちゃんだ。といっても、一緒に暮らしたことはない。早大時代に知り合い、「あなたの子供が欲しい」と言われ、学生結婚。壱成が生まれたが、役者を目指していた僕は演劇アカデミーに入るため...
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若さの秘密は年齢を絶対に意識しないこと 男はたちまち前立腺が駄目になる
50代のころから「もう年だから」という類いのことは一切、言わないように心掛けている。そう言った瞬間、老け込むと思っているし、実際、友人がそうだったからだ。彼女にフられて「俺はもういけてないのかな」と嘆いた友人はその後、みるみる老け込...
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70歳の挑戦、自分の「悲劇」は世間から見れば「喜劇」だろう
この連載の担当者から「古希になった感想は?」と聞かれた。「びっくりしている」が正直なところだ。「えっ、もう70なの?」という驚きだ。ふつうのひとは70になると、いわゆる老境を感じるのだろうか。あるいは「老後」の準備を始めるのだろうか...
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「言いたいことを言う」ために別の柱をつくろうと決意、レストラン「ジュンチャン」を始めた
地下鉄外苑前駅から神宮球場に向かう道、通称、スタジアム通りの左側に都立青山高校がある。僕が通った高校だ。偏差値はかなり高い方だったと思う。1学年300人くらいいたけれど、僕がいたころ、つまり、1970年代は現役で30人くらいが東大に...