沢田研二
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大衆性から離れずスリリングでパンクな戦いを繰り広げた80年代前半こそ「黄金時代」と考える
ここでまた立ち止まり、なぜ「1980-1985」という期間設定なのかについて、説明しておきたい。 当連載で扱うのは、80年代前半の沢田研二。シングルでは1980年の「TOKIO」から85年の「灰とダイヤモンド」まで。アルバム...
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「髪グチャグチャかきむしり」はハートビートに乗った自然なパフォーマンスだった
この曲の当時のパフォーマンスを確かめるべく、動画サイトを確認した。注目点は「髪のかきむしり方」である。これ、何か? 実は、前回説明した「ロッカバラード」のリズムに乗りながら、バックバンド=オールウェイズのギタリスト・柴山和彦...
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「洋楽やりたいねん!」の原点とスピリット
楽曲「おまえがパラダイス」について興味深いのは、同日発売の「G.S. I LOVE YOU」という、タイトルからして「GS」に向けられたアルバムに収録されているにもかかわらず、楽曲そのものがまったくグループサウンズ(GS)的ではない...
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この曲の物語は佐野元春から始まる…そしてスタッフの慧眼をつくづく思い知らされる
このシングルの編曲者・伊藤銀次×沢田研二の物語は、佐野元春から始まる。 佐野元春のファーストアルバム「BACK TO THE STREET」は1980年の4月21日発売。収録10曲のうち、比較的ビート系/パンク系の4曲を編曲...
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当時の最新録音技術で60年代風ローファイ・サウンド…凝ってるし、倒錯してるわぁ
早いもので、TOKIOが空を飛び、聖子ちゃんとトシちゃんがデビュー、B&Bやツービートが早口でまくし立てた1980年も、もう年末だ。 そして、沢田研二が紅白歌合戦で「TOKIO」を歌う8日前。12月23日にアルバム「G.S....
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「酒場」の上で回るのはミラーボールではなく、赤ちょうちんのような気が…
作詞は阿久悠さまの復活だ。沢田研二のシングルを書くのは、前年1979年5月発売の「OH!ギャル」以来。そう、糸井重里から、その啓蒙性を批判されたあの曲である。 実は阿久悠、79年から80年にかけての半年間「休筆」している。当...
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躍動するディスコ・ビートがなかなかに聴かせる
当時の記憶を掘り起こしてみると、「TOKIO」や「恋のバッド・チューニング」に比べて、インパクトはさすがに薄かったように思う。しかし「ダバダ ディディ ダバダ ディダ」というリフレインは、ちょっと盛り上がったとも記憶するのだ。 ...
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(47)寅さんのアットホームな雰囲気の中で、ジュリーと田中裕子は急接近した
──「男はつらいよ」にはミュージシャンが何人も出演しているが、共演者と結婚したビッグカップルが2組いる。30作「花も嵐も寅次郎」(1982年)の沢田研二と田中裕子、37作「幸福の青い鳥」(86年)の長渕剛と志穂美悦子。 ──...
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沢田研二の“胃潰瘍の功名”でアルバムのロック感・ニューウェーブ感を高まった
収録曲は全10曲。目を引くのが「恋のバッド・チューニング」「みんないい娘」「お月さん万才!」の3曲以外、計7曲を演奏しているバンドである。 バンド名のクレジットは「ALWAYS」(オールウェイズ)。 メンバーに並ぶの...
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アルバムジャケットに細かい工夫を施すセンスはキレッキレ
このあたりのアルバムはすべて、私はLPで持っている。 アルバム「TOKIO」のときと同じような話になって恐縮だが、ジャケットにほれぼれしてしまう。LPサイズで見ているから、なおのことだ。ぜひ中古レコード店で探し出して、沢田研...
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歌詞のキワモノ・悪趣味・下世話な魅力はもっと再評価されていい
この曲の魅力について、先に「キワモノ」「悪趣味」という言葉を使ってきた。もちろん、褒め言葉として。もうひとつ加えるなら「下世話」という言葉も似つかわしい。特に糸井重里の歌詞について。 「TOKIOが空を飛ぶ」という歌詞は奇想天...
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イントロ、メロディーそしてボーカル…すべて「TOKIO」よりはじけたニューウェーブ
「うるせえよ!」 漫才コンビ・錦鯉の向かって右側の渡辺が、左の長谷川をつっこむように、私はこの曲を聴いた後、沢田研二の頭をポンと叩きたくなる。 さらに付け加える──「キワモノなんだよ、悪趣味なんだよ!」。さらに、さらに...
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「恋のバッド・チューニング」は記録より記憶に残る“純粋なるキワモノ”
元日発売の「TOKIO」から約3カ月半後に発売。ちなみに、その直前の4月1日には、松田聖子が「裸足の季節」でデビューしている。歌謡界のパラダイムチェンジが少しずつ進んでいる。 売上枚数は17.2万枚と「TOKIO」の約半分に...
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沢田研二は「いたずら心みたいな感じで」80年代の扉を蹴り上げた
ここで1980年の沢田研二を再度概観する。「TOKIO」の前作シングルは、79年9月発売の「ロンリー・ウルフ」。地味な作品で売上枚数8.9万枚、オリコン最高位は18位にとどまった(ちなみに、さらにその前作「OH!ギャル」は最高5位)...
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アルバム「TOKIO」は編曲こそ派手派手だが、身ぐるみを剥がすと70年代が現れる
このアルバムの全曲の編曲を担当したのが、後藤次利だ。 加藤和彦、高橋幸宏、高中正義らとのサディスティック・ミカ・バンドのベーシストとして、イギリス公演に参加。そのはじけるようなチョッパー(スラップ)ベースで、ロンドンのロック...
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アルバム「TOKIO」は、歌謡界から早々と新たな潮流に照準を合わせていた
さて、ここで1979年の暮れに少しだけ時間を巻き戻す。このアルバムはタイトル通り、すでにご紹介した翌80年元日発売のシングル「TOKIO」が収録されたものである(ただし、アルバムに収録されているのはシングルよりも長いバージョン)。 ...
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本人の感性を追い越すようなスピードで賽は投げられた
これまで4回に分けてシングル「TOKIO」のサウンドと歌詞について見てきた。では、曲そのものではなく、曲に対する沢田研二の当時の気分はどのようなものだったのか。 ひとつの手がかりがある。島﨑今日子「ジュリーがいた 沢田研二、...
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いろんな意味で「TOKIO」をヤバい曲にしたのは沢田研二の甘過ぎる歌声だ
きょうから再度、シングル「TOKIO」の話に戻りたい。語っても語っても語りきれない一曲なのである。何といっても「沢田研二の音楽1980-85」を象徴する一曲なのだから。 ここまで、1980年元日発売という事実の時代的意味、後...
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「人間・沢田研二」もええけど、音楽論も、もっとちゃんと語ったれや
さて、この連載は1980年から85年の計6年間に、沢田研二が残したすべてのアルバム、すべてのシングルを論評し、さらには、同期間に再結成されたザ・タイガースの作品も併せて見ていくものである。 ここでいったん立ち止まって前提を確...
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外国のマネだけではダメなんじゃないか…糸井重里が「TOKIO」の歌詞に込めた思い
「空を飛ぶ 街が飛ぶ」「スーパー・シティーが舞いあがる」「TOKIOが空を飛ぶ」──糸井重里による歌詞は、とにかくぶっ飛んでいる。 そもそも「TOKIO」とは何なのか? 「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)の中で、糸井本人は「もう...
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「TOKIO」はイントロの25秒で80年代をグッと引き寄せた
オリコン最高8位。この曲が意外に低いセールス記録以上に記憶に残るのは、巨大パラシュートを背負う奇抜なファッションもさることながら、イントロが大きく奏功した結果だと考える。「TOKIO」のイントロは、それくらい画期的なものだった。 ...
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79年の紅白で「カサブランカ・ダンディ」を歌った数時間後、80年元旦に「TOKIO」を歌った
この曲を象徴するのが、1980年の元日発売という事実である。 しかし、単に元日に発売されたことよりも、年が明けてすぐ、この上なくセンセーショナルな形で世に示されたことの方がより重要だ、と私は考える。 「ゆく年くる年」─...
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1980年1月1日「TOKIO」発売 パラシュートを背負って80年代を連れてきた
1980年になった。 70年代から80年代へ。字面上は「7」が「8」になっただけのことだが、しかし、当時を知る者として、その変化は劇的だった。 「長髪」から「短髪」へ、「かっこいい」から「かわいい」へ、「フォーク」から...
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加橋かつみさんが憧れたストーンズ「サティスファクション」はザ・タイガースの原点でもある
かつて一世を風靡したグループサウンズ。その先頭を走ったのはザ・タイガースだった。ボーカルの沢田研二はソロになって活躍しているが、最初にグループをやめたボーカル&ギターの加橋かつみさんも旺盛に音楽・ライブ活動を続けている。日本の音楽シ...
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紅白歌合戦は今年も若い人向け? 70代でもパワフルな布施明と沢田研二が見たいのだけど
今年のNHK紅白歌合戦の出場歌手の発表の後、マスコミやSNSなどでさまざまな意見が出ている。 若い人たちに向けてアイドルグループが欲しいのだろう。だからといってK-POPグループには「4組も出場するのはいかがなものか」といっ...
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山崎まさよし公演ドタキャンで猛批判 それでもまだ“沢田研二の域”には達していない
シンガー・ソングライターの山崎まさよし(51)が10月21日に茨城・水戸のホールで開催したコンサートで物議を醸した。 約2時間半の公演中に8曲しか歌わず、ほとんどしゃべるだけ。「歌って」という客席のファンの声に「歌うのって、...
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沢田研二が貫き切った流儀と矜持 因縁のさいたまスーパーアリーナで75歳バースデーライブ
「もう、大満足の時間でした」と興奮冷めやらぬ様子なのは、会場でライブを堪能した芸能リポーターの長谷川まさ子氏だ。 沢田研二の全国ツアー「まだまだ一生懸命」のファイナル公演。75歳の誕生日の6月25日、バースデー特別公演を兼ねて...
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沢田研二はせっけんの香りがしそうなほど透明感があってキレイ…こういう人がスターだと
アタシがデビューした1970年あたりから74、75年にかけては、個性的な歌手が多かったですね。声を聞いただけで誰が歌っているか、すぐに分かりました。 「時間ですよ」でご一緒した鈴木ヒロミツさんなんかも個性派でいい声なの。ザ・モ...
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沢田研二が今度は前代未聞「コンサート前倒しリスケ」 不可解トラブルはなぜ起こった?
昨年、コンサートのドタキャンで話題になった沢田研二(74)にまたまたトラブル発生である。11月15日に東京国際フォーラムで開催予定の「沢田研二 LIVE 2022-2023『まだまだ一生懸命』ツアー」が1カ月前になって前日の14日に...
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松山ケンイチや阿部サダヲが主演…映画界“孤独死”作品が急増の謎解き
エリザベス女王や安倍晋三元首相など、国を挙げての「国葬」が話題になっているが、その対極にあるのが「孤独死」であろう。女優・島田陽子(享年69)も、遺体の引き取り手がおらず、荼毘にふすことができないという報道があったが、内閣府の高齢社...