沢田研二
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【今僕は倖せです】のジャケットに表れた沢田研二の「性格」と「気分」
1972年9月に発売されたアルバムの正式名称は『JULIE IV 今僕は倖せです』。あまたある彼のアルバムの中でも、もっともユニークなジャケットデザインの1つだろう。 マーカー(当時風にいえば「マジック」)による手書き文字(沢田...
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【岸部一徳】(当時:修三)の激しいベースプレイが楽しめる「あの3曲」
1970年8月22日、田園コロシアムで行われたザ・タイガースのコンサートの模様は、アルバム『ザ・タイガース・サウンズ・イン・コロシアム』(71年)として市販された。また映像も残っていて、DVD BOX『ザ・タイガース フォーエヴァー...
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【アルバム『彼は眠れない』】「沢田研二1980-1985」が「復活」した、あの秋
ココロから離れ、再び吉田建とタッグを組んだ1989年のアルバムが『彼は眠れない』だ。 クレジットを見ると、ベースに吉田建、ドラムスに村上"ポンタ"秀一、ギターには佐橋佳幸、下山淳ら、キーボードに西平彰、ホッピー神山ら、という...
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【CO-CóLO】を沢田研二がどう捉えていたのか、その「驚きの真実」
エキゾティクスの後、沢田研二のバックバンドとして活動したのが『CO-CóLO』(ココロ)だ。アルバム『CO-CóLO 1~夜のみだらな鳥達~』(86年)のクレジットによれば、メンバーは、沢田研二(ボーカル)に続いて、 ・チト河...
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【10 YEARS, ROMANCE ザ・タイガース写真集】で再度納得する「あの話」
連載で引用しようと思って、チャンスがなかった写真集である。奥付を見ると「1982年3月17日初版発行」「定価 2000円」「編 ザ・タイガース同窓会」「発行 第三書館」とのこと。 シングル『色つきの女でいてくれよ』、アルバム...
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【後藤次利】はどのように『TOKIO』の「超絶編曲」へと行き着いたのか
日刊ゲンダイの連載をまとめた『「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」』 が、ついに発売されました。何卒よろしくお願いします。 ◇ ◇ ◇ さて。まさに「人間交差点」という感じの「沢田研二1980-1985」を...
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【『NON POLICY』のジャケット】早川タケジの「芸の細かい」傑作デザイン
「沢田研二1980-1985」のジャケット群の中で、いちばん好きなものを聞かれたら、シングルでは連載でも激賞した『渚のラブレター』(81年)だが、アルバムだと僅差の中、『NON POLICY』(84年)がいちばんだと答えたい。 ...
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【萩原健一】ショーケンが見つめたライバル=沢田研二の「すごみ」
言うまでもなく、沢田研二といえば萩原健一である。ジュリーとショーケン。「阪神タイガースと読売ジャイアンツ」に並ぶ、昭和を代表するライバル関係だろう。ま、タイガースといっても、この場合はザ・タイガースとザ・テンプターズなのだが。 ...
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【宝島】サブカル雑誌の表紙を飾る2人の沢田研二の大きな「変化」
雑誌『宝島』。いわゆる「サブカル雑誌」の代表的存在。画像に写っているのは沢田研二が表紙となった『宝島』2冊。右は81年5月号。左は84年6月号。 同じ雑誌、同じ被写体で、これほどまでに変化するかね。81年版はいかにもニューウ...
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【矢沢永吉】キャロルとジュリー、ロックンローラーたちの一瞬の「邂逅」
沢田研二と矢沢永吉。この1歳違いのロックンローラーたちの音楽活動が交差することは、ほとんどない。数少ない接点といえば、矢沢永吉にインタビューをして『矢沢永吉激論集 成りあがり How to be BIG』(小学館~角川文庫、累計20...
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【アルバム『TOKIO』のビジュアル】封入された70年代と80年代の「狭間」
アルバム『TOKIO』には2つのビジュアルが封入されていた。いかにもニューウェーブ沢田研二な左と、いかにも70年代沢田研二な右上(右下はジャケットで、その上に乗っているのが帯)。2つのビジュアルの併存は、このアルバムが、まさに70年...
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【井上忠夫】のちの井上大輔が沢田研二に振りかざした「日本人論」とは?
これまで「沢田研二の音楽1980-1985」をご愛読いただきありがとうございました。ご好評のうち連載を終えましたが、著者のスージー鈴木氏には、まだまだ書きたいことが、山ほどあるのです! 今後は、連載で語り尽くせなかったエピソードやこ...
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歌い続けてくれた事実に感激して初めて泣いた
1984年までを沢田研二ソロ第1期。渡辺プロダクションから独立して「灰とダイヤモンド」を歌った85年以降を第2期とするなら、第3期は、2008年以降ではないだろうか。 厳密には、08年の秋以降。沢田研二の還暦を記念して開催さ...
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80~85年の沢田研二には、歌謡曲に限らずロックもニューミュージックも敵だった
ついに100回。連載もラスト3回残すのみ。 「沢田研二1980-1985」最大の功績は、まずは「ロックと歌謡曲の融合」だろう。 1980年当時、まだ「ニューミュージック」という言葉があった。「ビートルズや吉田拓郎の影響...
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40年経った今も活動を支える柔らかくて温かい声質
このアルバムの最大の聴きどころが、1曲目を飾る「指」だということに異論は少ないと思う。 何といっても、アルバム冒頭から約7分の大作なのだ。 松本一起による「指」をめぐるアダルトかつ、ちょっぴりエロチックな歌詞を、大野...
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トシちゃんやマッチには歌えない、大人っぽい曲を歌ってやる
いよいよ本連載で取り上げる最後の作品。 まず目を引くのは、全9曲の編曲と、「灰とダイヤモンド」を除く、全8曲の作曲を担当した大野克夫の起用である。「沢田研二&大野克夫」のアルバムと言っても、まったく過言ではない。 同...
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大実験の成果は第一線のプレーヤーたちに引き継がれた
「沢田研二1980-1985」の自己否定──という前回書いた内容について、いきなり私自身が「自己否定」するわけではないのだが、逆の視点からも考えてみたい。 つまり「沢田研二1980-1985」がもし、「沢田研二1980-198...
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自ら「創造しい」6年間に終焉を告げた言葉たち
「灰とダイヤモンド」の本質は、その歌詞にあると思う。 作詞:李花幻は沢田研二自身。「李花幻=いいかげん」とは反語になっていて、これでもかこれでもかと、徹底的に内面を吐露しているように読めるものだった。 言い換えると「沢...
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80年代前半の黄金期メンバーがみーんな、いなくなった
タイトル「灰とダイヤモンド」は、1959年のポーランド映画からの引用。この映画の中で描かれているのは、45年、ドイツ降服直後のポーランドだ。 しかし、この曲を聴いて、私が想起するのは、45年のアメリカ映画のタイトル「そして誰...
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彼こそが日本の「ロックンロール・ボーカリスト」の源流だ
ロックンローラー・沢田研二が「AMAPOLA」を、格別な歌唱力で聴かせる意味について、前回に続いて、考えを巡らせる。 この連載は、ここまで読み続けていただいた方なら分かってもらえる通り、「沢田研二=ロックンローラー」という大...
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当時は意義を見いだせなかった格別な歌唱力
「沢田研二1980-1985」の中で、これほど評価が激変したシングルはない。 当時高3の私が「なんで、こんなスタンダードを、沢田研二が歌っているんだろう?」と怪訝に思いながら、聴いていたことを思い出す。 タイトルはスペ...
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最大のキーマンを再確認させる「すべてはこの夜に」
前回、アルバムの中の曲について「ノンポリシー」と「ナンセンス」がいい、もう1曲加えるなら「8月のリグレット」と書いた。 ただ、別格的な曲が1つあることを忘れてはならない。というか忘れられない──べてはこの夜に」。作詞・作曲は...
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ブレーク直前の秋元康のセンスが光るタイトル
シングル「きめてやる今夜」「どん底」「渡り鳥はぐれ鳥」は売り上げに恵まれなかった。アルバム「女たちよ」は、正直、難解で息苦しい印象が先立ってしまった。 そんな中、このアルバムは、まずジャケットにかっこいい沢田研二、もっと言え...
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ナベプロが新たな柱に社運をかけた状況で、ジュリーの立場は息苦しく…
前回少し出てきたのが、当時まだ18歳の吉川晃司である。 沢田研二と同じ渡辺プロダクション所属(ナベプロ)で、1984年2月1日に華々しくデビューする。 デビュー曲はもちろん「モニカ」だ。編曲は大村雅朗が担当している。...
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これでもかと飛び跳ねる高度な「自虐パロディー」
このシングル発売から約1カ月後、1984年5月31日のTBS系「ザ・ベストテン」のランキングは、 ▼1位:哀しくてジェラシー ▼5位:涙のリクエスト ▼6位:ギザギザハートの子守唄 となっている。もちろん、すべてチ...
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「ルックスと時代との不一致」が向かい風になったのか
「沢田研二の音楽」という連載だが、今回は「沢田研二の髪形」という話を書く。 いつか紹介した近田春夫「定本 気分は歌謡曲」(文芸春秋)という本。1978年から84年までの彼の歌謡曲評論コラムをまとめたものなのだが、84年の章の冒...
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なぜ姉妹曲「2億4千万の瞳」と売り上げで3倍もの差がついてしまったのか
いよいよ1984年がやってきた。 チェッカーズと吉川晃司(沢田研二にとって渡辺プロダクションの後輩)が大暴れしたこの年の音楽シーンは、個人的には大好きで「1984年の歌謡曲」(イースト新書)という本を書いたほど。しかし、そん...
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「胎動」と「混迷」が交錯するシンドイ2年間
本連載もいよいよ最終コーナーに向かう。 1984年の音楽活動として、シングルは2月に「どん底」、4月「渡り鳥はぐれ鳥」。9月に「AMAPOLA」。アルバムとしては6月に「NON POLICY」を発売。 続く85年は、...
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禁じ手から表現が解放された最高に壮大な実験
よーく聴き込むと、魅力的なメロディーはあるのだ。1曲選ぶとすると、4曲目「さすらって」。サビ「都も秋になりましたか」「都は春になりましたか」がしっかりと耳に残る。もしシングルカット枠があったとしたら、この曲だったろう。 しか...
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「和×洋×中」のような異種混合かけ算
2024年秋の文化勲章の報道は「あしたのジョー」で名高い漫画家・ちばてつやの受章をメインとしたものが多かったと記憶する。 しかし、彼と同時に受章した残り6人のラインアップを見て、コアな沢田研二ファンは「あっ」と思ったのではな...