著者のコラム一覧
永田洋光スポーツライター

出版社勤務を経てフリーになり、1988年度からラグビー記事を中心に執筆活動を続けて現在に至る。2007年「勝つことのみが善である 宿澤広朗全戦全勝の哲学」(ぴあ)でミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。近著に近著に「明治大学ラグビー部 勇者の100年」(二見書房)などがある。

報道陣を唖然とさせた145失点の大惨敗と強化委員長の総括

公開日: 更新日:

 南ア戦の勝利が1991年の第2回大会ジンバブエ戦(52―8)以来24年ぶりだった事実が物語るように、これまで日本はW杯で好成績を残せなかった。そこに、日本でラグビーW杯の認知度が低かった最大の原因がある。

 91年当時、実はラグビーは大人気スポーツだった。といっても日本代表が、ではなく、早稲田大学、明治大学といった大学ラグビーの伝統校が人気の牽引車で、両校が対戦する「早明戦」は旧国立競技場で行われ、スタンドには6万人を超える観客が集まった。大学選手権も、準決勝、決勝と満員の国立競技場が舞台だった。Jリーグ開幕前のサッカーが集客に苦しんでいたのとは対照的だったのだ。

 こうした時代に、日本代表は、住友銀行(当時)に勤務する宿沢広朗監督、神戸製鋼を初優勝から連覇へと導いた平尾誠二キャプテンのコンビで、89年5月にスコットランドを撃破。これで高まったラグビー熱をW杯への関心につなげることができた。90年に東京でW杯予選が行われ、トンガ、韓国に連勝して本大会出場を決めたことも、人気を支えた要因だった。

 しかし、待望のW杯初勝利を挙げたものの、宿沢から監督を引き継いだ小薮修率いるジャパンが、95年の第3回W杯でニュージーランドに17―145と大敗すると人気は低迷。93年に開幕したJリーグに集客の面でも大きな差をつけられ、W杯で勝てない“暗黒時代”に突入する。2007年、11年とカナダと2大会連続で引き分けた珍記録はつくったが、相手を1点でも多く上回ることはできなかった。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    「ダウンタウンDX」終了で消えゆく松本軍団…FUJIWARA藤本敏史は炎上中で"ガヤ芸人"の今後は

  2. 2

    大阪万博「遠足」堺市の小・中学校8割が辞退の衝撃…無料招待でも安全への懸念広がる

  3. 3

    のんが“改名騒動”以来11年ぶり民放ドラマ出演の背景…因縁の前事務所俳優とは共演NG懸念も

  4. 4

    フジ経営陣から脱落か…“日枝体制の残滓”と名指しされた金光修氏と清水賢治氏に出回る「怪文書」

  5. 5

    【萩原健一】ショーケンが見つめたライバル=沢田研二の「すごみ」

  1. 6

    中居正広氏の「性暴力」背景に旧ジャニーズとフジのズブズブ関係…“中絶スキャンダル封殺”で生まれた大いなる傲慢心

  2. 7

    木村拓哉の"身長サバ読み疑惑"が今春再燃した背景 すべての発端は故・メリー喜多川副社長の思いつき

  3. 8

    大物の“後ろ盾”を失った指原莉乃がYouTubeで語った「芸能界辞めたい」「サシハラ後悔」の波紋

  4. 9

    【独自】「もし断っていなければ献上されていた」発言で注目のアイドリング!!!元メンバーが語る 被害後すぐ警察に行ける人は少数である理由

  5. 10

    上沼恵美子&和田アキ子ら「芸能界のご意見番」不要論…フジテレビ問題で“昭和の悪しき伝統”一掃ムード