「ガーシー問題」は単純明快だ 任務を自ら放棄した者には除名しかない
国会議員の「除名」の問題が話題になると、必ず、国民主権国家において主権者国民から選挙された議員の地位は重く、軽々しく奪われてはならない……という議論が議員たちから出て来る。
もちろん、それは正論である。歴史的には、専制から民主制に移行する過渡期に議会内多数派が少数派を弾圧した経験があり、現在では議員の身分は憲法で厳重に保障されている。任期の保障(46条)、歳費の保障(49条)、会期中の不逮捕特権(50条)、発言・表決の免責(51条)、除名には3分の2以上の特別多数決(55条)である。
しかしそれは、例えば、ロシアに入れ込んでいる鈴木宗男議員を議会内多数派が除名しようとした場合や、政権攻撃の急先鋒である小西洋之議員を与党が除名しようと試みた場合などに語られるべき話である。
その点で、ガーシー「議員」の事例は、それ以前の極めてお粗末な話である。
氏は、自らの意思で立候補して当選しておきながら、登院しないどころか日本に帰国すらしていない。そして、議員としての職務(つまり自ら望んで負った義務)は一切果たさずに、海外からネット配信ビジネスを続けて名誉毀損で告訴されている。
その結果、当然のことながら懲戒手続きが動き始めて、まず「議場での陳謝」を求められたら、帰国せずに陳謝の「映像」を参院宛てに送って受領を拒否された。
言葉を選ばずに表現するならば、「ふざけている」としか言いようがない。しかも、それでいて歳費、調査研究広報滞在費、期末手当は受領している。それで「返すつもりで税金泥棒と言われる筋合いはない」と開き直っているとのことである。参院がまともに向き合うべき相手ではない。たんたんと手続きを踏んで除名する他になかったであろう。
それに、氏の議席は比例区のものである以上、同じ党の次点がいるのだから、早くその者が代わり、議員として働き有権者からの負託に応える義務があった。
同様に、これほどお粗末な人物を候補にして有権者の期待を裏切ったN党(当時)にも責任がある。党として反省すべきである。
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