同性婚の法制化で「家族観」も「社会」も変わるものではない 正しい価値観が前進するだけ
同性婚の法制化について国会審議で問われた岸田文雄首相の答弁が消極的と言うよりも否定的なことには、驚かされた。
いわく、同性婚の法制化は、「極めて慎重に検討すべき課題だ」「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」。
そして、政策は前へ進まなかった。
同性婚の問題については、全ての前提になる事実がある。それは、科学技術の進歩の結果、明らかになったことであるが、人類の大多数は異性婚を好むのだが、統計上、少数ではあるが「先天的に同性婚を好む人々もいる」という事実である。つまり、一部の人々が同性婚を好むのは、その者の「先天的な個性」であり、決して、非難されるべき「悪趣味」ではない。
だから、「個人の尊重」を中心価値とする日本国憲法(13条)の下では、先天的に同性婚を好む人々の幸福も、少数派ではあろうとも、異性婚と同様に同性婚も認める法制度として保障されるべきが筋である。
そして、同性婚の法制化により、同性婚を好む人々が、扶養義務、相続等について現在被っている不利益から解放されるべきが自由で民主的な社会である。しかも、それによって「家族観」「価値観」「社会」が変わってしまうものではない。
「家族」が愛し合う2人から始まり、2人が望めば(養子を含む)子供を育むものであるという本質は、同性婚制度が認められても変わるものではない。
「価値観」については、同性婚が単なる「悪趣味」だとされていた偏見が克服され、全ての個人が個人として尊重されるという正しい価値観が前進するだけである。
「社会」も、全ての「個人の尊厳」が確保されたより良い社会に進歩するだけである。だから、暴言を発した首相秘書官の更迭で済ますのではなく、同性婚の法制化を急ぐべきである。
首相が何をためらっているのか、不可解である。首相は単に非科学的な偏見を墨守しているようにしか見えない。誰も同性婚を強要しているのではなく、単に他者の同性婚を「放任」することを求めているだけである。
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