立憲民主の候補者が自民に鞍替えした勘違い 利権政治に参加したいだけではないか
立憲民主党の候補者として、一昨年10月の総選挙で惜敗して、次の衆院選の準備をしていたはずの若者が、突然、今年4月の県議選に同じ選挙区内で自民党系無所属として立候補すると表明した。
ご本人いわく、「自民系の議員として地域密着で活動することで、いち早く子育て支援や地域活性化に関する予算・政策を実現させたいと思うようになった」。
これを聞いて、違和感を禁じ得ない。
国政における今の立憲民主党の役割は、まず、長年日本を統治してきた自民党政治の限界を突破して政策を転換するために、政権交代を実現することである。その上で、今の権力の私物化と利権構造を否定して、真の規制改革で経済を活性化して、地方再生と多様な生き方が保障される社会を実現することにあるはずである。
その立憲民主党の最年少候補、しかも女性として、「多様性が保障された社会」の実現を目指していたはずの若者が、「自民党の方が早く子育て支援や地域活性化に関する予算・政策を実現」できると考えたそうである。しかし、それは単なる学力と倫理性の不足としか評しようがない。
「子育て支援」と言うが、これまで長年にわたり掛け声だけで一向に成果を出せず、ついに、「子育て支援のための増税」と言い出した自民党に今さら何が期待できるのか? 「地域活性化」と言うが、全国の駅前シャッター街をつくってしまったのは自民党の失政の結果ではないか。この地方再生についても長年、掛け声だけは聞こえていた。
つまり、既存の利権構造を墨守して、自民党が自分と仲間だけを栄えさせて、国家と民衆を貧困に陥れたことはもはや明白である。
この国家と国民を悲惨な現状から救済するために、自公政権に対する対案を磨きながら、今は野党だから結果的に予算には介入できないが、それに耐えて世論を良導する戦いが今の立憲民主党の本務である。
それを理解していたはずの候補者が、構造的な欠陥のある自民党の政策と予算に関与したいとは、呆れた話である。ただの利権政治に参加したいという政治屋候補ではないか。
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