ロシア文学者・亀山郁夫氏「ウクライナ侵攻の出発点はソチ五輪にあった」
亀山郁夫(ロシア文学者/名古屋外国語大学学長)
今年2022年は、世界秩序の転換点となった節目の年として後世の歴史に記されることになるのだろうか。プーチン大統領のロシアによる隣国ウクライナへの侵攻は、10カ月が経過し、出口の見えない泥沼化の様相にある。この問題を「プーチン=悪」だけではない視点で、あらためて考えてみたい。ロシアの文豪・ドストエフスキー研究の第一人者として著名なロシア文学者に聞いた。
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──長年、ロシアを研究されてきて、現状をどう受け止めていますか。
ウクライナは、言ってみればロシアの歴史の活断層。欧米の歴代政治家、外交官は、その事実にずっと自覚的でした。ところが、ソ連崩壊後、アメリカ一元主義の台頭とともに、その活断層の存在が忘れられ、30年を経て動きだした。これは、まさにソ連崩壊劇の最終章なんですね。思うに、これほどにも不自然で不合理な戦争はない。人類が束になってひとつの大きな悲劇を書き上げていくような印象さえある。恐ろしい。なるほど世界が破滅に瀕する時は、こういうシナリオで、こういうふうに偶発的なものが重なって、現実化するのか、そんなペシミスティック(厭世的)な予感をかき立てられました。「ロシアは狂っていない」とプーチンは豪語していますが、むろん、核戦争の危機は去っていません。
──亀山先生の問題意識は?
グローバリズムの覇者であるアメリカは、敗者であるロシアを追いつめすぎました。しかしロシアにはロシアなりの意地と誇りがあった。文化の独自性に対する誇りです。この地球上には、欧米の合理主義的な精神によって理解され、維持されていく場所もあれば、悠揚として大河が流れるユーラシア大陸には、その国なりの、深く揺るがしがたいメンタリティーが宿っている。世界は多元的なのです。今回の戦争では、ハンティントンの「文明の衝突」がまさに地で演じられているのです。
■発展や成熟を拒むロシア人のメンタリティー
──ロシア人のメンタリティーは独特なのですか。
ロシア文化の特質を「二進法的」と呼んだ文化史学者がいますが、ロシア人には、0、1の後、また0に戻るという習性がある。1以上の発展や成熟には、自分が自分でなくなるという危機感が伴うのかもしれません。これは一種の終末論で、深く受動的です。つまり運命論に傾きがちです。不幸なメンタリティーと言えるでしょう。
──多くの血が流されています。解決策をどこに見いだしたらいいのか。
国境よりも命の方が大事です。ずっと文学をやってきた一人の人間としてその信念は揺らぎません。しかし、お互いが妥協による解決策を模索するには、まだ流される血の量が足りないということでしょうか。どちらも本音では、戦争を止めたい、しかし止められない。今やもう、ゼレンスキーも、プーチンも、ある意味で目覚めちゃったんですね。
──目覚めたとは?
それぞれのアイデンティティーに、です。ゼレンスキーは、いわゆるNATOのもつ絶大な力に目覚めた。正確な数は不明ですが、双方ともに莫大な犠牲者が出ていることは事実です。当然、ゼレンスキーの責任がゼロ、完全無欠というわけにはいきません。為政者としての責任、つまり、決断の問題は残る。だからゼレンスキーとしても相当につらい。今回の戦争が、ロシア=絶対悪によって起きた現実なんだという認識を世界が共有してくれなければ、戦う決断をした責任から逃れられなくなります。だから、全領土の奪還を宣言するのは、当然なのです。その宣言なしでは、生きられない。クリミア半島は彼にとって「贖い」のシンボルなのですから。
■ナルシシストの過剰な幻想に間違いの源
──では、プーチン大統領は何に目覚めたのか。
究極の理想です。非常に身勝手な自己都合のビジョンですね。彼はロマンチスト。ロマンチストというのは、精神的に傷を負っている人間です。彼はソ連崩壊で決定的な傷を負った。ソ連崩壊後の90年代は、国家がずたずたになり、人々は生活基盤も奪われた。とくに98年のデフォルトの際には、誇り高いエリート層までもが「自分がロシア人であることが恥ずかしい」という気持ちになった。いわばそのトラウマの解消のために、新しいアイデンティティーが追求されました。グローバリズムの中で、頼れるのは資源だけ。資源で得るものは得られたけれど、誇りの回復、自信の回復には至らなかった。傷を負ったナルシシストが、その傷を癒やすために過剰な幻想を抱く。そこにすべての間違いの源があります。
──ナルシシストの幻想ですか。
スラブ民族の一体性というビジョンです。何百年と続いてきた右派のイデオロギーで、そのビジョンを支えてきたものが、文化であり、信仰です。ドストエフスキーやチャイコフスキーの名が利用され、プーチンがよりどころとする文化の優位性を示すシンボルと化しました。しかしウクライナにも優れた文化があり、極端な言い方をすれば、ロシア文化の3分の1を占めている。それらは、大きな「ロシア世界」の枠の中に入っていてこそ意味があるものだと考えられている。文化全体主義です。
──ロシアにとって、それほど文化は重要なのですね。
独裁国家にとって、文化そして信仰はネーション確立の最大の武器となります。侵攻のあった2月24日の段階で多くの人々は、NATOとの関係の中でこの問題を見ていたのですが、僕は違いました。翌25日の新聞取材では、「これは、プーチンのイデオロギー戦争なんだ」と話しました。そう考えたきっかけは、2021年のドストエフスキー生誕200年の式典で、プーチンが「ドストエフスキーは天才的な思想家にしてロシアの愛国者である」とメッセージ帳に書き込んだ事実にあります。文化的・文明的な一体性を保ちたいという欲求が、NATOの問題に負けず劣らずあった。今、明らかになってきている事態は、ロシア文化の深層に息づく信仰の危機のドラマでもあるのです。