「被害者救済法」の本質的な無理(1)罪刑法定主義と信教の自由と財産権
被害者救済法の本質的な無理(1)
旧統一教会2世の告白が世に出てから、同教会に対する世論は一段と厳しいものに変わった。それを受けて、政界では「被害者救済法」案が焦点になっている。
野党案は、①マインドコントロールで高額献金を求めることを、「特定財産損害行為」として罰則付きで禁止し、②親族が返金を申し出ることができる「特別補助制度」を創設するものだと聞いた。
しかし、あらゆる宗教はそれを信じない者から見たら「変なもの」であり、かつ、どの宗教も勃興期には一見「狂信的」になるもので、その際の布教活動は「マインドコントロール」そのものである。
だから、「マインドコントロール」の定義次第では、他の多くの宗教の活動もその新法に抵触してしまう。つまり、罰則付きの禁止行為はそれが一般人が普通に理解できる概念でないと、熱心な宗教活動の多くが「犯罪」になりかねない危険を生む。つまり、法が「落とし穴」をつくってしまうことになる。
「可処分所得の4分の1以上の献金を禁止する」ともされている。しかし、消費者金融ではあるまいし、「お布施」の前に所得証明を確認する手続きなど、宗教活動に馴染むものではない。
さらに、個人の献金を家族(別の人格)が取り消せることにするそうである。これでは当人の信教の自由(憲法20条)と財産権(処分の自由=同29条)はなくなってしまう。
だから、今、世論に押されて慌てて議論されている救済法案には本来的に無理があるのではなかろうか。
今回の問題を解決するには、2つの方法がある。第1に、信者本人が「被害」を自覚したならば、成人が自ら行ったことなのだから、既存の民事・刑事の法律を使って地道に戦うべきである。第2に、2世信者の被害については、人格形成前に支配された者が被った損害なのだから、国家が後見的に行政的救済を提供すべきである。
就学支援、就労支援、生活保護等、わが国には多様な福祉制度が整備されている。これらを個別の事例に合わせて紹介する窓口を各都道府県に、その司令塔を政府に設置することこそが急務であろう。 (つづく)
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