意味不明な“お壺ね様”発言を垂れ流す 三浦瑠麗の発言は「言論」ではない
あさっての方向からの統一教会(現・世界平和統一家庭連合)擁護の連発で、ネット上では「お壺ね様」「壺サーの姫」といった愛称で親しまれている三浦瑠麗。
安倍晋三と統一教会の深いつながりが発覚すると、論点をずらしたり、問題を隠蔽・矮小化するいかがわしい連中が次々と訳の分からないことを言い出したが、中でも必死だったのが三浦である。
三浦はYouTubeチャンネル「日経テレ東大学」(10月29日配信)に出演。山上徹也容疑者の家庭に起きた献金問題について「たくさんあった財産がなくなったっていうのは、これはそんなに同情すべきかっていうのがあって。みんな1億円の資産ある人なんていないですからね、そんなに」
「あるいはそれを競馬でスったって同じじゃないですか。統一教会のいろいろな手法は批判されるべきだけど、統一教会なら救ってあげて、競馬なら救わないって法はないでしょ。そういう議論ができないってことは、やっぱり結局、本質には関心ないんですよ」と発言。
意味不明。統一教会を擁護するにしても、ここまで変だと意図が見えづらい。
なんでもいいから自民党に恩を売っておこうという魂胆なのか、常識とかけ離れたことを言って冷たい視線を浴びることに快感を覚えているのか。ここまで無防備だと統一教会が送り込んだ工作員とも考えにくい。自己承認欲求が制御できなくなり、ツイッター上でバイトテロや奇矯な行動に及ぶ連中と同じなのかもしれない。
三浦の発言は昔から一貫して変だが、統一教会問題に関しては度を越している。国会を無視し閣議決定だけで安倍の国葬を強行したことが問題になっているのに、「ほんとにそんなことしても票は増えませんよ」と政局に絡めて野党を批判したり。下劣極まりない。
しまいには三浦はツイッターで「ま、好きにしたらいいですよ。このまんまいやーな感じが漂うのは日本のために良くないと思うけど、政治の世界だけが日本ってわけじゃ無論ないしね」と開き直った。
言論の自由は最大限に尊重されるべきだが、三浦の発言は言論ではない。公道に糞を垂れ流す自由はない。残念ながら世の中には一定の割合で三浦のような人物が存在する。問題はこのようなメルヘンの世界の住人の妄想を世の中に垂れ流すメディアである。
◆本コラム待望の書籍化!重版決定!kindle版も発売中です。
「それでもバカとは戦え」(日刊現代・講談社 1430円)