議員は人間の代表で山の代表ではない「1人1票の原則」は民主主義の本質だ
憲法上、国会の議員定数、選挙区、選挙人の資格は国会が法律で定めることになっている(43条2項、44条、47条)。国会の自律である。しかし、憲法は、大原則として「法の下の平等」を定めており(14条)、さらに選挙人の資格についても明文で差別を禁じている(44条)。だから、その人がたまたま住んでいる地域により「一票の影響力」に「格差(差別)」があって良いはずがない。これが「1人1票」の原則で、民主主義諸国における下院(衆議院)選挙制度に関する憲法常識である。
そこで、わが国でも、衆議院小選挙区については、10年ごとの大規模国勢調査の結果に従って都道府県別の小選挙区の数が変更される制度になっている。今回は、2020年国勢調査の結果に従って、1都4県で10議席が増え、10県で10議席が減ることになる。
しかし、今回の「10増10減」案が自民党の了解を取りつけた過程でも、そして了解された今でも、この案には反対が根強い。それは、この案で小選挙区が削減される県について、「地方の声が国政に反映されなくなる」というものである。
しかし、選挙制度の本旨を考えてみれば、そのような批判は、人口減の結果として選挙区を失う現職の議員が既得権益を守りたいと言っているだけのように聞こえてしまう。
民主国家における議会は、国家の平和と繁栄のために、「主権者」国民大衆の代表として、有限な国庫の配分を決め、公益のために不可避な負担を国民に課す権力機関である。
人間が皆、個性的な存在である以上、議会は国民総体の「できる限り正確な縮図」でなければならない。つまり、議員とはそういう意味で「人間の代表」なのである。だから、選挙区ごとの議席配分は人口に比例していなければならないわけである。
にもかかわらず、かつては人口が多くあったために議員に選出された者が、今は過疎化してその前提を失った地域にも議席(つまり自分の立場)を残せという主張は、いわば、「山の代表」として議席を残せと言っているに等しい。そこには、議席を利権・家産とする人々がいる。
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