松野官房長官の詭弁…国葬を内閣の「裁量」でできるはずがない
ついに岸田内閣の本音が出たというか、松野博一官房長官が、「国の儀式を内閣が行うことは行政権の『裁量』に含まれ、閣議決定を根拠に(国葬を)行うことは可能だ」と言い放った。
憲法上、まず、「行政権は内閣に属する」(65条)。しかし、内閣は「(国会が制定した)法律を誠実に執行し、外交関係を処理し、(国会の承認を得て)条約を締結し、法律に従って公務員に関する事務を担当し、憲法、法律を実施するために法律の範囲内で政令を制定し、恩赦を決定する」ことが仕事である(73条)。また、内閣が国費を支出するには国会の議決に基づくことが必要で(85条)、予備費の支出にも事後に国会の承認を得なければならない(87条)。
だから、内閣が「元首相の国葬」などという歴史的なイベントを挙行するためには、少なくとも、国会が制定した「国葬法」という法律に、その目的と基準などが既に規定されていなければならないはずである。
内閣が引用する内閣府設置法4条3項33号は、例えば、既に憲法7条10号を受けて皇室典範(法律)25条に規定された大喪の礼(天皇の国葬)などの事務を内閣が担当するための「手続」規定である。
だから、今回は、「元首相の国葬」について、国権の最高機関である国会(41条)の意思を示す国葬法(根拠法)がないことが文字通り「違憲」だと批判されているのである。
「裁量」とは、国語的には、「何ものにも縛られずに自分の考えで処理すること」であり、法的には、「該当法規が多義的なためにその範囲内で所管庁が自由に判断できる余地」のことである。例えば、大喪の礼の日時や式次第の詳細などである。
しかし、今回の「安倍国葬」については「法律上の根拠」がないことが問われている。それさえあれば、式次第などは内閣府設置法4条によりそれこそ内閣の「裁量」である。
内閣が懲りないのでこちらも再度指摘させてもらうが、今回の「安倍国葬」にはその挙行を「根拠づける法律」(国権の最高機関・国会の意思の証し)が存在しないことが問題なのである。
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