動燃プルトニウム製造係長は72年に独身寮から突如失踪した
プルトニウム製造係長 竹村達也さん
インタビューを終え、ノートを閉じて席を立とうとした時、その科学者は私を呼び止めた。
「君は事件取材の経験はあるの?実は、相談があるんだ」
2012年夏、私は東京・港区のオフィスの一室にいた。朝日新聞の記者として、東日本大震災後の原発のあり方を取材しにきていたのだ。取材相手は旧動燃(現・日本原子力研究開発機構)の科学者の男だ。
北朝鮮による拉致の目的とは何か。日本は核を扱う資格がある国家なのか。彼の告白から、私はそのことを問う8年間の取材に入ることになる。
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その科学者は、1960年代から動燃で原発の研究に打ち込んだ男だ。今でこそ逆風の原発だが、当時は違った。
「原子力を核兵器としてではなく、日本経済を支えるエネルギーのために使うんだ」
そんな心意気に満ちていたという。
なぜ、「事件取材」の経験が関係あるのか? 私が「自分は何でも屋でいろいろな取材をしてきました。殺人とか汚職とか事件取材の経験もあります。何か事件があったんですか」と尋ねると、彼は切り出した。