【加藤の乱】育ちの良さが裏目に…明暗分かれた盟友“YKK”
■平成12年
「加藤先生は、大将なんだから! ひとりで突撃なんてダメですよ!」
自民党宏池会の加藤紘一会長に駆け寄り、涙ながらに引き留める谷垣禎一氏。平成12(2000)年11月20日に起きた「加藤の乱」といえば、誰もが思い出す場面だ。
当時の衆議院議席は480。与党は272議席で過半数を占めていたが、野党が提出する森内閣不信任決議案に加藤派45人と山崎派19人が同調すれば、不信任案が可決され、森内閣は退陣必至の状況だった。“クーデター”を察知した野中広務幹事長(当時)ら執行部による切り崩し工作は凄まじく、「YKK」の一角をなす小泉純一郎氏は森派会長として制圧に回った。
当日、加藤氏と2人で本会議場に向かった山崎拓氏が当時を振り返る。
「20日は月曜日で、加藤派は土日の間に多くが切り崩され、残ったのは21人だけでした。加藤氏は半ば公然と進めていたから、潰されるのは当然です。嘘をつけない加藤氏の育ちの良さが裏目に出た。結局、派閥の仲間には本会議を欠席させ、われわれ2人だけで議場に向かうのですが、加藤氏の心が折れて2度も引き返した。あの時、2人だけでも本会議に出席していれば、日本の政治史は変わったでしょう」