【金丸脱税事件】異聞(11)マルサの係官が日債銀から秘かに持ち帰ったコピーが端緒に
検察が金丸脱税事件を摘発できたのは、国税当局の力に負うところが大きかった。脱税立件につながる簿外蓄財の証拠を入手し、検察に提供したのだ。
国税当局は、前年の92年秋、金丸の5億円闇献金事件を20万円の罰金処分にした検察が「強い者に弱い」と世論の袋叩きに遭うのを目の当たりにし、焦った。国税当局も税務調査で検察と同様、政治家のカネを追っている。安易な調査で大物議員に有利な処理をした、と世論に受け止められたら、同じ目に遭う--と危惧したのだ。
国税当局は金丸側の税務調査を徹底する必要に迫られた。91年暮れに金丸の妻が死亡。数十億円の遺産があるとされていた。国税庁調査査察部長の野村興児は、金丸の税務調査を担当してきた東京国税局査察部(マルサ)に、金丸についてどういう資料があるか報告を求めた。
「(金丸が)日債銀本店で、昭和62年(1987年)時点で10億円を超す割引金融債を取得している」との記録があった。割引金融債は資産隠しに使われることもある。かつて大阪国税局査察部長時代にその手口を知った野村は、東京の査察部にその後、その資産がどうなっているか確認するよう指示した。
年が明けた1月14日、東京国税局査察部の係官が、金丸側が割引金融債を購入していた日本債券信用銀行を調査。日債銀は金丸の不正蓄財の証拠となる「生原氏関連割引債一覧表」の一枚紙を作成していた。それによると、金丸のものとみられる日債銀発行の割引金融債(ワリシン)は22億円余分。87年の倍以上になっていた。
後に詳しく述べるが、日債銀の担当者は、金丸が東京佐川急便からの5億円の受領を認め、自民党副総裁を辞任した、まさに前年8月27日の当日に、「いずれ、ワリシン取引が問題になるかもしれない」と考え、金丸側との取引を整理し、まとめていたのだ。