ライフコーポレーション創業者・清水信次名誉会長がやり遂げた後継者選び
しかし、バブル経済の終盤に差し掛かった折、三夫氏は株式運用にのめり込み肝心の本業がおろそかになった。当時は「財テクをやらない経営者はバカだ」(総合商社の有名な財務担当副社長)と言われていた。
危機感を抱いた信次氏は88年3月の役員会で三夫社長を電撃的に解任し、自ら会長兼社長に返り咲いた。
実弟を後継者にして失敗した信次氏は「会社は子どもや孫に継がせない。一番優秀な人に任せるべきだ」と考えた。
92年、三菱商事と業務提携(現在、三菱商事は21.36%出資する筆頭株主)し、人材の派遣を受けていた。
94年2月、信次氏は東京・丸の内の三菱商事本社を訪れ、相談役の三村庸平、諸橋晋六の両氏、会長の槙原稔氏、社長の佐々木幹夫氏に会った。
信次氏はかねて社長の派遣を要請していた。白羽の矢を立てていたのが岩崎高治氏(56)。当時、彼は30歳の若さだった。
信次氏が岩崎氏と最初に出会ったのは英国・ロンドン。岩崎氏は慶応義塾大学経済学部を卒業し、三菱商事に入社。同国の食品製造会社プリンセスに出向していた。ヨーロッパの小売業を視察中だった信次氏を、ロンドンで出迎えたのが岩崎氏だった。このときから「この人と一緒に仕事をしたい」と思うようになったという。