宮沢賢治を誤読した”番犬評論家”加瀬英明
その前段では旧仮名遣いに触れ、宮沢賢治の「美しい詩」を引いているのだが、加瀬は賢治がエスペラントの熱心な支持者だったことなど、まったく知らないのだろう。「国際問題」に強いといわれる番犬評論家の教養など、この程度の底の浅いものなのだ。
劇作家の青江舜二郎のコンパクトな本『宮沢賢治』(講談社現代新書)には、「賢治童話のカナ書きの地名・人名にはエスペラントがなかなか効果的に用いられている」とある。
青江は「賢治は生来多感であったが決して感傷的ではなかった。科学者らしい冷徹な決断が一方には強くはたらいていた」とも指摘しているが、とすれば、最も科学的であるべき「国際問題評論家」の加瀬は感傷に溺れて賢治の本質に触れていないと言わなければならない。
「 ひとは賢治といえばすぐ”温順仁慈”にむすびつける。しかし、それはあやまりだ。賢治はそんな”じっとがまんの子”ではなく、その自らにみごとに名づけたごとく、まさしく修羅の怒りをいのちとする。そしてその怒りはこの羅須地人協会時代において、まっしぐらに呪わしき資本主義、商業体制に向けられたのだった」という青江の言は、よく賢治の本質をつかんだ者の言である。