猪瀬直樹も丸ハダカにした戦後革新の証言者・高木郁朗が残した“遺言”
すでに死を覚悟していた高木が昨年の暮れに出した『戦後革新の墓碑銘』(旬報社)にこんな一節がある。細川護熙が辞任して羽田孜が後継首相となる時のことである。
「僕はこの過程でホテルニューオータニにたてこもっていた平野貞夫氏と、社会党と新生党とのあいだで対立していた諸課題について非公式の話し合いを行った。大きな争点は、北朝鮮の核開発をめぐる情勢と消費税の引き上げを中心とする税制改革の2点だった」
小沢一郎のブレーンの平野は、いま、交渉相手だった高木の死を惜しむ。
のちに厚生労働大臣となった柳沢伯夫と高木は東大三鷹寮の同期生だったが、細川内閣ができるころ、柳沢からこう言われたという。
「社会党は年収400万~500万から1000万円ぐらいの有権者を相手にしているが、自民党は200万~300万の人を票集めの対象としている」
連合が相手にしていない層を自民党は相手にしているとも言えるわけで、これでは社会党が勝てるはずがない。