“夢見る人”山田光成は「ラムネ屋」と侮蔑されていた月賦販売を切り開いた
『日本経済新聞』の人気シリーズ「私の履歴書」に日本信販の会長だった山田光成が登場したのは1986年である。
山田のことは城山三郎が『風運に乗る』(角川文庫)と題して小説化し、私は『夕刊フジ』に連載した「実と虚のドラマーー 経済小説にみる企業と人間」で山田と城山に会って、以来、何度か3人で会う機会を得た。そして、山田から「私の履歴書」のリライトを要請される。『日経』の担当者もいることだしと渋っていたら、折悪しく山田の夫人が亡くなり、山田を元気づけるために依頼を引き受けることにした。
ヘレン・ケラーと山田の出会いから始めたが、山田は信用販売事業を三和銀行に乗っ取られるところから始めたいと言った。押し問答の末、私の主張を通したが、山田の死後まもなく、日本信販は三和に吸収され、三和が三菱銀行と合併して、いまはわずかにニコスの名だけが残っている。「私の履歴書」掲載からだけでも40年足らず。企業の寿命ということを考えざるをえない。
「大ドリーマー(夢見る人)」といわれた山田は、他の誰もが不可能と思ってあきらめるような夢を見つづけてきた。いまでこそ、消費者ローンは一大マーケットに成長したが、戦後まもなく、山田が動き出した時、まともに相手にしてくれる人は皆無に近かった。