「21世紀にこんなことが…」マリウポリ“制圧”の日に届いた訃報
いつかこんな「暗い日」が訪れるとは覚悟していた。特派員として過去、駐在していたモスクワとキエフ(キーウ)の間を何度も行き来し、ウクライナの知人・友人は数知れず、妹のように面倒を見た親友までいる。「幸い」という言葉でいいのか、2月下旬にロシアのプーチン大統領が戦争を始めて以降、自分の周囲は何とか難を逃れていた。しかし、それが崩れた。
■すべては異様な演説から
筆者が「身近な死」に触れたのは、4月21日。侵攻の前触れとして、プーチンが「ウクライナは単なる隣国ではない」などと約1時間、一方的かつ異様な国民向け演説を行ってから2カ月後。彼が南東部マリウポリ「制圧」を宣言した日のことだ。
アゾフ海を望む要衝マリウポリでその前日、知人の義母が亡くなっていた。知人はキーウ在住の元国家公務員で、日本にもなじみが深い。ちょっと強引だけれど、人懐っこくて憎めないウクライナ人のおじさんだ。
夫婦そろってマリウポリ出身。住んでいたキーウに戦火が迫り、奥さんは東京にいる息子を頼って1万キロ以上を移動して避難できた。しかし、故郷に住む義母ら親族はその頃、ロシア軍に包囲されていた。筆者が3月に奥さんに話を聞いた際、「母の無事は近所の人が時々知らせてくれる」と教えてくれたが、心配は尽きない様子。言葉の一つ一つが重かった。