住軽アルミ建設強行で勃発した「住友角福戦争」の愚かさ
1982年に解散した住軽アルミのことを語りたい。とりわけ、この国では「資本の論理」の外で、会社がつくられたり、消えたりすることがあるからである。
住友グループに”住友の飛車と角”といわれたライバルがいた。住友金属工業の会長となった日向方斉と住友化学会長だった長谷川周重である。のちに住金は新日本製鉄に合併され、新日鉄は日本製鉄に名を改めて、住金もまたなくなった。
日向は1973年に、同じ住友グループに住友化学系の住友アルミがあるのに、精錬から圧延までの一貫生産体制をとるとして、あえて子会社の住友軽金属に住軽アルミをつくらせ、山形県酒田市に工場を建設した。
しかし、電力を食うアルミは採算が合わず、10年で撤退せざるをえなくなる。
住友のリーダーを争う長谷川の住化からは原料を買いたくないという子どもじみた理由で日向は住軽アルミ建設を強行した。そして創業開始からわずか5年の1982年に撤退を決める。
そのころ私は経済誌をやめてフリーになったばかりだったが、郷里ということもあり、『朝日ジャーナル』に日向の責任を問う一文を書いた。書き出しは流行歌の一節を引いて、