自民党を応援しながら護憲を唱えた平田牧場創業者・新田嘉一の企業家精神
同郷の身びいきで言うわけではないが、山形県酒田市が本拠の平田牧場の創業者、新田嘉一は企業家精神に満ちている。冒険性、社会性といった企業の原点を新田は教える。
平田牧場の三元豚はコメを食う豚として有名になった。コメ余りが騒がれた時、それを飼料としたのである。それだけでなく、中国黒竜江省の求めに応じて、トウモロコシを輸入した。トウモロコシは中国人にとっては日本人にとってのコメのようなものだが、日本の豚のエサにするほど収穫できるのか? そう心配する新田に黒竜江省は大丈夫だと答える。しかし、それをどう運ぶか? 新田はとてもムリだと考えられていたハルピンから酒田へのルートを開拓した。当時のソ連(現ロシア)、中国、そして日本がからむ話を、新田はねばり強く推進した。
新田の中国への関心はその平和思想にも由来する。自民党を応援しながらも新田は「9条の会」に入って護憲を唱えているのである。1933年生まれで「戦争はみじめさしか生まない」ことを骨身にしみて知っている新田は、この憲法を変えようなどという人間はおかしいとまで言う。