石井食品 石井智康社長<1>幼少期に芽生えた後継ぎへの反発心
<イシイのおべんとクン、ミートボール>でおなじみの石井食品は、創業76年。現在、経営のかじ取りをするのが、5代目の石井智康氏だ。
社長就任後、「地域と旬」をテーマに生産農家と連携した商品づくりやITを活用した経営改革、多様性を重視した働き方改革を推し進めている。
智康氏は1981年に、本社を構える千葉県船橋市で誕生。両親と8歳上の姉、4歳下の弟の5人家族の長男として育つ。だが、5歳のときに母・夏代子さんが他界。父子家庭となるが、寂しさを感じたことはないという。
「父は常に多忙でしたが、父方、母方の親戚をはじめ多くの人に支えられ、祖父の死後は祖母とも同居を始め、古き良き大家族のように賑やかでした」
石井食品は45年、智康氏の祖父、故・石井毅一氏が立ち上げた電気器具の修理工場「石井電気工業」が前身で、翌年、食品事業に参入。江戸時代から続く漁師町・船橋で祖母の故・トヨ子氏と夫婦二人三脚で佃煮の製造・販売を開始。これが石井食品の礎となった。
60年代初頭には、ポリエチレンの真空包装・熱湯殺菌により、保存が難しかった煮豆の長期保存を可能にし、爆発的ヒット。62年の東京証券取引所第2部上場の原動力に。
70年には、当初業界初の調理済みチルド食品「チキンハンバーグ」を発売。続いて登場した「ミートボール」とともに主力商品となる。以来、時代に寄り添った商品を生み出し続けている。
私立小受験で白紙答案
2代目社長で現会長の父、健太郎氏は安心できる原材料と国内製造にこだわり、加工食品の無添加調理をはじめ消費者目線での取り組みを次々と進める。
智康氏が幼少期を過ごした80年代は全国的にCMが流れ会社が急成長を遂げた時期と重なる。
周囲から“石井食品の子ども”と見られることが多くなった。そのためか、智康氏に「将来、絶対に継がない」という反発心が芽生え、扱いづらい子どもだったと自ら振り返る。
「嫌だと思ったらテコでも動かないタイプで、地元の小学校に行きたいがために私立小学校の受験では、白紙の答案用紙を出したらしいのです」
念願の地元公立小に進むと、近所の子どもたちとドロケイにザリガニ捕り、ファミコンに熱中。負けず嫌いな性格にオタクっぽさも顔をのぞかせた。
「当時は難しいゲームが多く、友達と情報交換しながら誰かがクリアしたと聞けば話を聞きにいくなど攻略に必死でした。ゲーム=悪という風潮がありますが、推論を立て協力しながら問題を解決していくなど一方通行の教育では得られない体験だったと思います」
地元公立小を卒業後、中高一貫の早稲田実業へ。剣道部に入部するが、「先輩には服従」という習わしが性に合わなかった。さらに、なぜ古典を学ぶのかといった些細な疑問から、暗記教育や付属校の方針にも違和感を持つようになった。
「大学への推薦入学のためにいろんなことが決められていき、金髪がNGな理由も、どこかで大学職員が見ているかもしれないからというもの。体裁を取り繕うだけの対応が嫌で生徒会活動もしましたが、結局何も変えられませんでしたね」
高校ではバンド活動に没頭するが、「石井食品は継がず、自力で生きる」という思いは変わらなかった。 (つづく)
(ライター・大山ゆみ)