コロナを“好機”ととらえ支援1800社「営業の極意」はこうやって磨いた
「エムエム総研」代表取締役CEO 萩原張広さん
コロナ禍で働き方は変わった。特に大きいのは営業スタイルの変化だろう。夜討ち朝駆けの飛び込み営業はNG。得意先への不要不急のご機嫌伺いもしづらい。
こうした昔ながらの営業スタイルは下火になる一方で、これからはオンラインによる非対面のデジタルセールスが主流となるだろう。しかし、「そういったデジタルツールの営業スキルを持つ人材が日本にはまだ少ない」と言うのが、この人だ。
リクルートの営業マネジャーから独立し起業。インターネット黎明期にアメリカの最新マーケティング手法を日本に持ち込み、これまで数多くのベンチャー企業や外資系IT企業の法人営業を支援。その数は約1800社、1万プロジェクトを超える。
現在コロナ禍でさまざまな対面職業の人たちが苦境に立たされている。だが今こそ、そういった人たちのキャリアチェンジの好機ととらえる。実際、今年7月には自社の人材育成プログラム「エムエム デジタルセールス・アカデミー」をオンライン上で無償提供。一定の条件を満たせば返済不要の学習支援金が支給されるほか、就職支援も受けられるなど、そのサポートは手厚い。
「私自身が20代の時にさまざまな事情で自分に合う仕事が見つけられず苦労しました。今も同じような人たちがたくさんいると思いますが、デジタルセールスなら在宅勤務が可能になり、地方にいたり、親の介護をしていたり、体が不自由であったりしても、第一線で働けます。多くの意思ある人に仕事で成長する機会を得てほしいのです」
高校を卒業すると大学へは進まず、歯科技工士の見習となった。しかし長続きせず、半年で辞めてしまう。高校生の頃から斜に構えた性格で、今でいうオタク気質。「そんな自分を変えたい」と願い、最も自分に向いていないと思う営業職、具体的には英会話のカセット販売の仕事を新聞広告で見つけて応募した。
「名簿などをもとに電話をかけまくり、喫茶店などに呼び出して約40万円する教材一式を買ってもらう仕事でした。仕入れ費の35万円は自分持ち。売れれば差額の5万円が残るという仕組みです」
最初は全く売れなかったが、同じ会社のトップセールスマンのやり方を盗み見て学んだ。
「その人は商品の説明をほとんどしなかったんです。やっていたのは相手の身の上話を聞くこと。そして“今の人生に満足しているのか”“英語の世界にこぎ出せば新たな刺激が待っている”などと説く。後で聞いたら『物を売るのではなく感動を売っている』という。なるほど、その通りにやってみたら、営業チームのリーダーにまで出世することができました」
仕事を効率化するための「サービス」を売った
営業の面白さに気づいた。今度は企業相手に営業がしたいと、建設用タイルを工務店に売る仕事を始めた。そこでひとつの教訓を得る。
「個人は“何となく好き”といった理由で衝動買いしますが、会社は利便性やコストなどを徹底的に調べてから購入します。つまり、会社相手に物を売るには、なぜこれが必要なのかという理由と、決裁までのプロセスが必要なのだと、気づきました」
工務店の利便性やコストを徹底的に調べた。ある日、現場にタイルが余ることを職人が嫌うことを知る。持ち帰りや在庫管理の手間がかかるからだ。そこであらかじめ少なめに納品し、足りない場合はその都度追加する方法に変更。これが大いにウケた。
「この時の私はタイルを売っていたんじゃありません。必要な数のタイルを必要な時に届け、仕事を効率化するための『サービス』を売っていたのです」
その後、伸び盛りだったリクルートにアルバイトとして入社。「量より質」の営業で頭角を現し、トップクラスのセールスマンに躍り出るのである。
本場アメリカのマーケティング手法
そもそも見込み客を見つける「マーケティング」と、実際にサービスや商品を売る「営業」とを、はっきりと分けて考える企業は、日本には少ない。そうした中、20年以上前から本場アメリカのマーケティング手法を学び、数多くのネットベンチャーや外資系IT企業の法人営業支援を担ってきた。
「入社してすぐ、転職情報誌の募集広告を取ってくる部署に配属されました。飛び込み営業をして、1件でも多く受注するのが仕事です」
やがてある仮説に気づく。一度しか注文してくれない会社も、継続して注文してくれる会社も、営業にかかるコストは同じ。ならば後者に営業をかけた方が効率的では?
■継続案件が雪だるま式に…
そのために取った作戦は、将来性のある業界の有望な企業を調べ、そのニーズに合った広告プランを提案すること。リサーチには当然時間がかかる。実際1年目の成績は振るわなかったが、2、3年目には最初の何倍もの成果を上げた。継続案件が雪だるま式に増えていったからだ。
「当時は高度経済成長期からバブルへと向かう途中。物を作って飛び込み営業すれば売れていました。しかし高卒の私が他の大卒社員と同じことをやっていても勝てません。徹底的に効率化し、『量より質の営業』で勝負したのです」
同時に、そうした無差別な飛び込みや、無計画なアポ取りをよしとする日本の営業文化そのものへの疑問も湧き始めた。相手の欲しい物や事業計画を無視した押し売りのような手法では、日本の会社はきっと行き詰まる――それは31歳で営業コンサルタントとして独立後、バブル崩壊のピンチを乗り越え、新しいビジネスの種を見つけるために行ったニューヨークで確信に変わった。
1998年ごろ、マンハッタンのほとんどの会社が、見込み客を見つける仕事、営業をかけて受注する仕事、アフターフォローする仕事を分業していた。日本では全てを1人の営業マンがやるのが当たり前だった。
しかし、分業しているから各業務に集中できるし、成果も上げられる。自分の役割さえ果たせば、スキルアップやバカンスなどに充てる時間的余裕もつくれる。商品を売った後も顧客対応に日夜追われる日本の営業マンとは雲泥の差だ。
「日本人が“営業力を高めたい”というのは、ただ“野球がうまくなりたい”というのと同じ。しかし、打っても投げても超一流の大谷翔平のような選手はめったにいません。だからプロではピッチャーやバッター、代打や代走と役割分担しているのです。営業も同じようにちゃんとパート分けして、適材適所でやるべきだと思いました」
見込み客を見つける「コールセンター事業」で成功
しかし、一つの会社ですべての人材を育成するのは難しい。そこで営業のアウトソーシング事業に方向転換。具体的には、企業相手に電話営業して見込み客を見つける「コールセンター事業」を行った。
これが大当たり。折しも2000年前後のネットバブルで勃興したITベンチャーがそのサービスに飛びついた。“そんなことをしたら、ウチの営業マンの仕事がなくなる”などと言う古い体質の大企業とは違い、考え方が柔軟だったからだ。
リーマン・ショック後は、大手外資系IT企業が顧客となった。マーケティングのアウトソーシングは、本国では一般的だったからだ。
この事業を始めて20年以上。最近は営業支援ツールの導入などIT化が進んだが、それを使いこなせる人材がまだ少ないという。少しビジネスの種を見つけるのが早かったのでは? そう問いかけると、こう答えた。
「確かに運が悪ければ、日の目を見ないで終わっていたかもしれません。でもその時が来た時にちゃんと戦えるよう準備をしておくことが大事。それが勝負の分かれ目だと思います」
いざ収穫の時、か。
(取材・文=いからしひろき)
▽萩原張広(はぎわら・はりひろ)1959年、神奈川県横浜市出身。高校卒業後、歯科技工士の見習、英会話教材、建築資材の営業などを経て、株式会社リクルートに入社。90年に独立し、法人営業支援を業務とする「エムエム総研」を設立。98年、ニューヨークでの視察経験から日本でのBtoBマーケティングの必要性と可能性を確信。以降、外資系やベンチャーなど多数の先鋭的企業のマーケティングプロジェクトに関わる。今年7月には、コロナ離職者向けに自社の人材育成プログラム「エムエム デジタルセールス・アカデミー」の無償提供をオンライン上で始めた。