周囲の人も去り…晩年は他人との会話を待ち望む寂しい生活
東京・葛飾区のアパート火災現場に行ってみた。そこで中江氏のアパートのほかの部屋に通うホームヘルパーと出くわした。それで合点がいったのは、いつからかは判明しないが、中江氏から「生活保護を受けている」と聞いていたことだ。
昨年あたりから取材のアポで電話をすると「毎週土曜日の午後1時から2時に部屋を掃除してもらっている」「火曜日の10時から11時まではリハビリで病院に行くことになっている」と言っていたことがあった。
私の推測だが、彼はホームヘルパーの世話を受けていたのではないだろうか。介護サービスには食事の配膳もあるが、今年になって食事もろくに取っていなかったと言っていたが、それは介護サービスを打ち切られたためだろうか。中江氏に確かめようとしてももうできなくなってしまった。
中江氏との最後の会話は、亡くなる2週間前、約1時間の電話でのやりとりだった。これまでの電話取材と同様、彼はこちらの質問にきちんと答えてくれた。そして最後に「いつでもいいですから、どんどん電話してください、楽しみにしています。まだまだ話していないことがいっぱいあるので、いろいろと思い出しておきます」と言い、電話を切った。