女はお嫁さん要員? 年収800万円でも「行き遅れ」と見下される田舎の地獄【新宿の女・西村咲子38歳 #2】
【新宿の女・西村咲子38歳 #2】
【何者でもない、惑う女たちー小説ー】
西新宿の高層ビル内にある大手食品会社のデザイン室に勤務し、初台に暮らす咲子。実家とはほぼ縁を切ってはいるものの、悠々自適におひとりさまを満喫している。そんなとき、突然弟・将平が目の前にやってきて…。【前回はこちら】
◇ ◇ ◇
「新宿に住んでいるっていうから、タワマンとかだと思っていたよ」
案内した自室のお手洗いから出てきた将平は、出てくるなり半笑いで、咲子の部屋の感想を述べた。
「しかも、1駅使うし、3階って…」
言葉とは裏腹に、満足げな様子で彼はソファの真ん中にどかりと座る。その場所は、いつも咲子がテレビや食事をする際の定位置だ。
勝手に侵食しないでほしかったが、疎遠だった17年が不満を口にすることをためらわせた。
――こいつ一体、何しに来たんだろう…。
「東京でそんな稼ぎしかないの?」
そんな疑問を胸に、咲子は物産展で購入した白い恋人を茶菓子としてローテーブルの上に置いた。彼は、礼も口にせず当然のようにそのままつまむ。
「一軒家でしか暮らしたことない人から見たらそう感じるよね」
「にしても狭すぎじゃない? この部屋も俺ん家の庭が余裕ですっぽり入るよ」
将平は現在、地元で高校時代の同級生と結婚し、3人の子どもに恵まれ幸せな生活を送っているという。今年、彼から一方的に送られてきた年賀状には、アルファードが停まった一軒家の前にいる5人家族の肖像があった。
「私の稼ぎじゃこれが精いっぱいだもの」
咲子が謙遜気味に口にすると、将平はソファに預けていた身体をがばっと起こす。そして、機を狙っていたかのように矢継ぎ早に尋ねて来た。
「え! どれくらいもらっているの?」
「800万くらいかな…」
「手取りで?」
「額面だけど」
「…はーん。なんだ、東京でそれっぽっち。世帯年収じゃウチの方が上だ」
「…」
流れに乗って答えてしまう自分も悪い。遠慮なくパーソナルな部分に侵入してくる将平の言動に、咲子はいまだ根強い家族の無神経な距離感を恨んだ。
――てか、トイレを借りるだけじゃないの?
図々しい弟の信じられない言葉が続く
早く帰ってほしい…。咲子は拒否感を察してもらうが如く、無言でキッチンにこもり、洗い物をし始める。
すると、信じられない言葉が背後から聞こえてきた。
「ねえ、メシとかないの? 今日はここに泊まるつもりで来たんだよね」
「…え?」
将平は今日、出張で新宿に来たと言う。
近隣のホテルに宿泊しようとするも、インバウンド旅行者の影響かどこを探しても予算オーバーのため、咲子の家に泊まることを思いついたらしい。
「まさかこんなに狭い部屋だとは思わなかったな。まあ、壁と屋根があるだけましっつうか」
なんと図々しい発想だ。長年距離をおいていても、結局あの家の中で自分は虫けらのような存在なのだと身に染みる。
――あの時、出て行ってよかった…。
女性は「お嫁さん要員」でしかない田舎
咲子は20年前、デザイナーを目指し、大学進学と同時に上京した。
進学も上京も親から反対されていたが、猛勉強の末に東京藝大に合格し、仕送り不要、東京は卒業までという約束で両親をねじ伏せた。
しかし、大学3年の夏休み。就職活動で地元に一時帰省すると、両親は言った。
「就職先は既に決まっている。咲子はそのまま卒業するだけでいい」
聞けば、父親が懇意にしている地元企業に一般事務職として働く折り合いがついているという。その企業は社内結婚率が高く、地元の噂では女性社員はほぼお嫁さん要員としてみられていると聞いていた。
そもそも、地元に帰るのも本意でなかった咲子は、卒業後も東京に残る決意をした。親が決めた就職先も自ら連絡し、辞退。勝手な行動に父親が激怒し、大喧嘩となったのは言うまでもない。
疎遠になって以来、地元の同級生伝いで近況は耳に入っているようだが、事務的な連絡を除き咲子からは何も起こしていない。何かしらのアクションがあったのは今回が初めてだ。
結局、ホテル代わりではあったのだが…。
「狭い部屋で、惨めな生活じゃん」
「姉ちゃんもさ、あの時おとなしく就職して、同じ会社の人と結婚してりゃ、俺ん家みたいに大きな家と車のある生活ができてたはずなのになぁ、失敗したね」
将平はボリボリと白い恋人のカスをソファの上にまき散らしながら、咲子にアピールするかのようにぼやいた。
「…そうかな? 私は今でも十分幸せだけど」
「強がっちゃって。俺恥ずかしいよ、地元じゃみんな姉ちゃんのこと『行き遅れ』とか『かわいそうだ』って噂してるし。成功しているならまだしも、結局、こんな狭い部屋で、仕事だけで自意識満たしている惨めな生活なわけじゃん」
咲子の心にドロドロとした感情が
将平は得意げに煙草を取り出し、おもむろに火をつけようとした。咲子は静かにそれを取り上げる。
「この部屋、禁煙なの」
「悪いね。じゃ、ベランダ行くわ」
「ベランダ喫煙もマンションで禁止されてるから」
ブツブツ文句を言いながら彼はお手洗いに向かった。本当はお手洗いでも喫煙して欲しくなかったが、とにかく一時的にでもどこかに行ってもらいたかった。
――将平のいう通り、何かを成したわけでもないし、窮屈な生活だけれど…。
咲子の心の中に、ドロドロとなにかがうごめく。
ついに怒りが爆発する
――確かに、今日みたいに、子どもが理由で約束をドタキャンされた日は、世間から置き去りにされたような感覚になることもあるけれど…。
しかし、ここまで言われる筋合いはないと思った。
自分の手に届く範囲内で、幸せに、好きに生きているだけなのに、なぜこんなことを言われなければならないのだろう。
誰にも迷惑をかけていないはずだ。
「ふぃー、すっきりした」
将平がお手洗いから出てきた。鼻につく不快な匂いを漂わせて。
「…ねえ、帰ってくれないかな」
気がつけば、本心が漏れ出てしまっていた。
「は? 何を今さら。家族だから助け合いは当然だろ」
当然のようにソファに戻る彼に、実家の父親の陰を見る。
男尊女卑、家父長制、田舎の嫌なところが全て詰まった実家。改めて、縁を切ってよかったとしみじみと感じる。
「ここは私の家。泊る場所なら自腹で何とかしてよ。年収相当あるんでしょ」
衝動のまま、咲子は彼のスーツケースをドアの外に押しやっていた。
「なにすんだよ!」
金輪際、帰らない決心ができた
きっと彼は故郷に帰ったら、姉のことをヒステリックな鬼婆に変貌していたと言いふらすだろう。独身の寂しさのあまり、と枕詞を添えて。
しかし、そんなことはどうでもよかった。どうせもう故郷には帰らない。引っ越しても住所は金輪際教えないことを決意する。
怒りは収まる気配はなかったが、決別の踏ん切りをつけてくれた将平を咲子はある意味有難く思うのだった。
【#3へつづく:偉そうな態度の将平だが、その裏には…】
(ミドリマチ/作家・ライター)