津野田興一
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津野田興一都立立川高校教諭

1965年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科史学専攻修了。現在、東京都立立川高校で世界史を教える。著書に「世界史読書案内」(岩波ジュニア新書)、「やりなおし高校世界史―考えるための入試問題8問」(ちくま新書)、「第2版 ポイントマスター世界史Bの焦点」(山川出版社)、「『なぜ!?』からはじめる世界史」(山川出版社)、「大人の学参 まるわかり世界史」(文春新書)など。

真珠湾攻撃はこうして「奇襲」になった…米国の暗号解読はなぜ遅れたのか

公開日: 更新日:

 1941年12月7日、日曜日の朝7時49分(ハワイ時間)に、日本の海軍機動部隊から発した航空機が、ハワイの真珠湾を攻撃しました(写真①)。この時、宣戦布告がないまま攻撃した「卑怯な日本」というイメージが定着しました。なぜこのような事態になったのでしょうか?

■九七式印字機

 近代に入って重要度を増したのが暗号です。相手国の意図を正しく認識することができれば、交渉において有利となりますし、戦闘においては勝敗を分けることにもなるからです。

 日本の海軍技術研究所は1937年に九七式印字機をつくり、真珠湾攻撃時の標準暗号機として用いました。ちなみに「九七式」は、1937年が、当時日本で使われていた皇紀の2597年に相当することに由来しています。米国側はこれを「パープル暗号」と呼びました。

■情報戦争

 米国は、1934年の連邦通信法第605条に基づき、盗聴と他国の通信傍受を禁じていましたが、合衆国の陸海軍は通信法を無視。当時主流だった短波無線を傍受して、日本の暗号解読に取り組みました。また、1939年には米国のスパイがニューヨークの日本総領事館に侵入してコードブック(暗号解読本)を入手しており、日本の最高機密は筒抜けになっていました。解読された日本の外交電報は、米国で「マジック情報」と呼ばれました。

 栃木県の小山送信所からサンフランシスコにある米国の通信会社に送られた日本の外交電報は、すぐに解読されたのち電動機械式タイプライターでワシントンDCの海軍省ビルへと転送されていました。この「直通電信回線」によって、米軍解読班は、日本大使館が米国の通信会社から電報を受け取るよりも1~2時間程度早く外交電報を入手することができたのです。

 日本も同じように敵国の機密情報を探り、スパイなども駆使しながら米国国務省や英国外務省の暗号解読にあたっていました。第2次世界大戦は「インテリジェンスウォー」(情報戦争)でもあったのです。

■対米最終覚書

 ここで真珠湾攻撃に至る直前の日本側の動きを見てみましょう。

 日本の第1次攻撃隊に対し、総指揮官・淵田美津雄中佐は「全軍突撃せよ」を意味する「トトトト」の無線をハワイ時間の12月7日午前7時49分に発信。その6分後に、日本軍は最初の爆弾を投じました(ワシントン時間7日午後1時25分)。

 この時、ワシントンDCの日本大使館では、野村吉三郎大使と来栖三郎大使が、日本の外務省から命じられた「対米最終覚書」のタイプ打ち込みを行っていました。米国国務省に到着してコーデル=ハル国務長官に手渡しできたのはワシントン時間午後2時20分(日本時間8日午前4時20分)でした。

 攻撃よりも1時間近く遅れての覚書伝達になってしまった結果、「日本は卑怯だ」という話になり、奇襲攻撃と言われるようになりました。では、なぜ遅れたのでしょうか。「日本大使館の怠慢」だったのでしょうか。

■第14分割電

 この時、日本の外務省は「対米最終覚書」が英文2400ワードの長文だったため、文書を14に分割して暗号で日本大使館に送っています。ここで重要なのは、13本目までの文書は米国の通商に関する非難の言葉があるだけで、開戦に関する文言は含まれていなかったことです。

 表②をご覧ください。日本の外務省が日本時間でいつ電報を打ち、ワシントンの大使館がそれを何時に受け取ったのかをまとめたものです。「第902号」が14本に分割された電報です。

 外務省が電文を打ったのは、1本目が日本時間の6日午後8時30分、13本目が7日午前0時20分でした。最重要の第14分割電は、13本目からなんと15時間40分も遅れた午後4時に送られています。真珠湾攻撃を成功させるため、日本は通告をギリギリまで遅らせるという、かなり「危険な賭け」に出たのでしょう。

 この第14分割電が「日米交渉打ち切り」を通告するものであり、宣戦布告ですらないのは、読んでいただければお分かりになると思います(資料③)。したがって、ローズヴェルト大統領が日本の宣戦布告を知りながら、わざと握り潰したという、巷間よく言われる解釈は成り立ちません。

■資料3

 よって、帝国は米国の態度に鑑み今後交渉を継続しても妥協に達することはないと認めるほかない旨を米国に通告するのを遺憾とするものなり。

(大野哲弥著「通信の世紀 情報技術と国家戦略の一五〇年史」新潮社から)

■大使館への“逆風”

 さらに表②をよく見ると、最重要であるはずの14本目の電報が日本大使館に到着の5時間後に解読されたことが分かります。なぜ、時間がかかったのでしょうか?

 背景には日本大使館を襲った“逆風”がありました。例えば、情報漏洩を恐れた外務省が日本大使館に対し、▼タイピストを使わず大使自らがタイプを打つこと▼大使館が2台保有していた暗号機を1台破壊させる──など、作業効率を著しく下げるような命令を直前に出していました。

 また、外務省は最重要である第14分割電と前後して、ほとんど意味をなさない慰労電などをいくつも送り付けていました(表④)。日本大使館はそれをすべて受信・解読しなくてはならず、肝心の第14分割電に取り掛かることができませんでした。

 とはいえ、疑問は残ります。なぜ、第902号と番号の早い第14分割電を先に解読しなかったのでしょうか。実は外務省が第14分割電に本来付けるべき「大至急」の指定をしていなかったのです。結果的に、日本大使館が緊急度の低い「慰労電」などから解読を始める悲劇(というより喜劇)が演じられてしまったのです。

■もっと知りたいあなたへ

通信の世紀情報技術と国家戦略の一五〇年史
大野哲弥著(新潮社 2018年) 1540円

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