「戦前」を思考停止のことばにしないことが「新しい戦前」を防ぐ最良の道
辻田真佐憲(評論家・近現代史研究家)
「戦前」にあらためて注目が集まっている。
昨年末、タモリが「徹子の部屋」で2023年がどのような年になるかと問われて、「新しい戦前になるんじゃないでしょうかね」と答えたことも話題になった。
近年、戦前回帰は政治を語るキーワードのひとつだった。安倍政権下における教育基本法の改正、集団的自衛権の行使容認、メディアへの政治介入、首相官邸への権限集中、森友学園の愛国教育などが一体的に、戦前的な軍国主義・愛国主義の復活であるかのように論評されることが多かった。
昨年が戦後77年にあたり、明治維新から太平洋戦争の敗戦までの77年に並んだことも、この傾向に拍車をかけた。今後はまったく新しい時代に突入するかもしれない──というわけだ。
だが戦前をめぐる論評は、いささかずさんなレッテル貼りにもなってはいなかっただろうか。
「安倍は東条英機のような独裁者だ」という批判を考えてみよう。よく耳にした比較だが、昨今の研究に照らして適切とはいいがたい。
明治憲法のもとでは首相に権限が集中しにくく、かえって軍部の暴走を招いた面があった。根っからの軍事官僚であった東条もこれに苦慮しており、陸相や参謀総長などを兼任することで、なんとか自らのもとに権限を集めようとした。それでも彼は、戦争中の1944年に首相の地位を追われてしまった。
戦後、首相に権限を集中させたのは、このような戦時下の反省も踏まえている。それゆえ、この傾向を戦前回帰と呼ぶのはあまりに倒錯している。
安倍元首相はかつて「美しい国」「日本を取り戻す」というスローガンを掲げた。そのため、ここでも戦前回帰の野望があったように語られた。
だがその実態は、日本史上の使えそうなものを戦前・戦後を問わず適当にかき集めた、一種のキメラだった。だからこそ、「ALWAYS 三丁目の夕日」が称えられ、東京五輪や大阪万博が亡霊のごとく再度招致されたのだ。
戦前回帰という論評にも似た構造があった。ここでいう戦前は、日本の暗部らしきものをごった煮にしたものにすぎなかったのではないか。保守のいう「美しい国」とリベラルのいう「戦前」は、合わせ鏡だったのである。
もちろん、戦前は敗戦という悲惨な末路を迎えたのであり、歴史の教訓として生かさなければならない。歴史を役立たないと切り捨てるのは、それはそれで極端だ。であれば戦前の歴史をしっかり見なければならない。
そもそも戦前も77年続いており、どこを切り取るかによってまったく印象が異なってくる。明治初期の日本は、植民地化される危機にさらされた弱小国家だった。それでも、独立の気概を誇り高くもっていたのであり、この点ひとつ取っても、アメリカに強く出られない今日の日本とは大きく異なっている。