加藤登紀子さんの「さびしい朝食」を劇的に変えた 亡き夫が仕込んだ味噌樽の発見
加藤登紀子さん(1)
「あれ? こんなところに樽がたくさん……いったい何だろう?」
その瞬間、加藤さんは思わずクビをひねった。
2002年7月、元学生運動指導者で有機農業を実践していた夫の藤本敏夫さんが肝臓がんのため58歳で他界。彼の死後、藤本さんの本拠地だった千葉の鴨川に足しげく通って大掃除をしたり、事務所の整理をしたりしていたときのことだ。
敷地には作業をするときに泊まれるような「山小屋」と呼ばれる高床式の建物がある。加藤さんは、その縁の下に大きな謎の樽が30くらいあるのを見つけたのだ。
「そのとき一緒に作業をしていた人に、この樽は何? って聞くと、思い出したように『あっ、そうだ。2年くらい前、藤本さんが元気だったときに仕込んだ味噌だ!』って。じゃあ、味をみてみようって、食べたらおいしくて……。それで自宅に持って帰って、味噌汁にして食べたらすごくおいしかった。それから朝ごはんが楽しみになったんです」
藤本さんの死後、加藤さんにとって何がつらかったかといえば、朝食だったという。