“ハイボールの聖地”「銀座ロックフィッシュ」の意地 2年前の6月から1日も休まず営業
キンキンに冷えたサントリー角瓶43度の復刻版ウイスキーをグラスに注ぐ。そこへ、これまたキンキンに冷やしたウィルキンソンの強炭酸をトクトクトク。味わいを損なわないよう氷はなし。仕上げにレモンピールをひと振り。
差し出されたそれを、ゴクリとやる。鼻先を舞う柑橘の香り、喉を潤すクリアで爽快な味。思わず声が漏れる。くぅ~っ。
そう、ハイボール人気の火付け役で聖地「銀座ロックフィッシュ」の名物である。コロナ禍前は、この味と絶品のつまみを求めて小さな店は連日ぎゅうぎゅう。満席で入れないことも多かった。この2年半、伝説のバーはどんな日々を過ごしてきたのか。店主の間口一就さんの元を訪ねた。
「一時は売り上げが9割減になりましたね。コロナの影響が出始めた2020年はちょうど近くのビルの旧店舗から移転して2年ほどしか経ってなかったので、引っ越し資金の支払いなどで貯金はほぼゼロ。手元にあった家電量販店の商品券を現金に換えて、つまみ用の食材の仕入れに使っていたほど(笑)」
今でこそ明るく話してくれるが、相当な打撃だったに違いない。それも当然、目の敵にされた酒類が主役のバーである。しかも当時は壊滅的な痛手を受けた接待の街・銀座にある店だ。最初の緊急事態宣言で約2カ月間休業した時は、「お金の工面で区役所に通ったり、税理士さんとの相談、補助金の書類作成に走り回った。一番不安だったのは、休業したことでお客さまが離れてしまうのではないかということ。特に外出の機会が少なくなった年配のお客さまが減ってしまって……」
■2002年に創業して以来の大きな危機に
それでも、緊急事態宣言明け後の営業再開は、「店を開けられることがうれしかった」と振り返る。と同時に「店は何があっても営業しなければならないということを学びました。政府の要請は守っていますが、20年の6月1日から、私自身も店の営業も、1日も休んでいません」。
2002年の創業以来の大きな危機。要請に従った休業中に取り組んだのは、クラウドファンディングだった。目標の200万円は1日も経たずに達成し、およそ1カ月弱で約540万円の支援金が集まった。その資金でアクリル板の設置など目に見える感染予防対策をどこよりも早く取り入れた。
営業再開後はバーからお食事処の要素を強くするためメニューを見直し。そこはつまみのレシピ本を何冊も出版するほどの名人、間口さんだ。ハムカツバーガーやビーフンなど次々に考案し、ピザの味も進化。すると、今まで2軒目や3軒目での利用が多かったところ、1軒目でガッツリ食べながら酒を楽しんでくれる人が増えたという。
だが、次なる試練は酒類提供自粛の波。名物のハイボールはどうしたのだろうか?