知床観光船事故から4日 “土下座”社長が会見で明かした「ズサン経営」の中身
「最終的な判断はすべて私でございます」
痛ましい海難事故から4日が経過した27日、ようやく北海道斜里町内のホテルで会見を開いた観光船「KAZU I」の運航会社「知床遊覧船」の桂田精一社長(58)は、こう言って自身の責任を認めた。会見の冒頭、桂田社長は報道各社のカメラの前で2度、土下座。額を床に押し付け、「このたびはお騒がせしまして、大変申し訳ございませんでした」と謝罪した。
事故当日の朝8時。桂田社長は豊田徳幸船長(54)と打ち合わせ。午後になって海が荒れるようであれば引き返す「条件付き運航」を決定した。寄港予定を過ぎた午後1時18分、KAZU Iから他の運航会社に「船首が浸水している」と無線が入り、他社が海上保安庁に救助要請を行った。
会見で明らかになったのは、乗客の安全を第一に守らなければならないはずの運航会社のあまりにもズサンな管理体制だった。
■無線は使えず衛星携帯電話は修理中
事故を起こした23日は同社の今シーズン営業初日だったが、KAZU Iと連絡を取るための無線のアンテナが外れ、故障中だった。それを事故当日の朝8時30分、同業他社の船長から指摘されて初めて気付き、業者に修理を依頼。アンテナは3カ月前に強風で壊れていた。それでも携帯電話や他社の無線でやりとりができるという理由で出航の停止はせず、他社に「KAZU Iから無線が入るかもしれない」ということさえ、伝えていなかった。衛星携帯電話については「船に積んでいたと認識していたが、修理に出していて実際には積んでいなかった」(桂田社長)と説明した。
桂田社長は5年前に同社を譲り受けたが、その後、当時在籍していた社員を総入れ替え。豊田船長も一昨年に入社したばかりだった。通常、甲板員から船長になるまで3年ほどかかるが、桂田社長は昨年、入社して1カ月ほどしか甲板員を経験していなかった豊田氏を船長に抜擢。「素晴らしいセンスがある」と元船長が言っていたというのが登用の理由だった。その豊田船長は昨年6月、座礁事故を起こしている。
条件付き運航は、すべて現場責任者である船長が決定権を持つ。波の高さや風の強さが運航基準を超えた場合、その時点で「船長判断」ですぐに引き返すことになっていたのに、豊田船長はなぜ無理をしたのか。
「お客さんは少しでもヒグマや滝を近くで見たい。運航会社側はせっかく知床まで来てくれたのだから、自然の美しさを味わって欲しい。他の観光船よりサービスが良ければSNSなどで拡散されて客も増え、利益も上がる。知床は、女満別空港から車で3時間以上もかかる『日本最果ての地』です。クルーズがキャンセルとなれば、半日の予定がなくなり、お客さんの方がガッカリします。過当なサービス競争は危険と隣り合わせだったのです」(地元関係者)
ズサンな経営実態が分かっていたら、誰も土下座社長の会社の船には乗らなかったはずだ。
地元観光業悲鳴 GWキャンセル相次ぐ
知床の観光船事故がゴールデンウイークを控えた地元観光業を直撃している。地元・斜里町の知床小型観光船協議会は、5月8日まで運航自粛を決定。同町の宿泊施設の男性経営者は「現時点でキャンセルが数組出ている」とした上で、件数の増加を懸念する。
斜里町に隣接する羅臼町でもホテル経営者が「数え切れないほどのキャンセルがあった」と肩を落とした。