大正3年創業の豆腐店(東京・上野桜木)2代目店主が語る在りし日の思い出
豆腐店は朝が早いといわれる。
だが、「昔は朝じゃない。夜中だよ」と言うのは大正3年創業の豆腐店「藤屋」の2代目店主・高橋敬さん(86)だ。
敬さんの父親で初代店主・藤吉さんは新潟出身。第1次世界大戦の始まった1914年に現在の地に店を構え、今年108年目を迎える。
「オレは7人きょうだいの下から2番目。上の兄2人は戦争で負傷したり、シベリアに抑留されて帰国が遅れたりで、後を継ぐことになったんだ。上野中を卒業すると同時に店を手伝ったんだが、当時は若い衆が4、5人いて、早番は深夜2時、3時から仕事。暮れは徹夜さ。で、朝6時から1日に3回、自転車に乗ってラッパを吹きながら豆腐を売る。若い衆は売り上げの1割が給料で、オレは半分の五分。店を手伝いながら上野高の定時制に通ったんだけど、何しろ夜は眠たくて仕方ない。それで高校は中退したんだ」
浅利慶太さんはよく買いに来てくれた
敬さんの思い出話は尽きない。
「終戦直後は、おからが売れてね。買うのに行列ができたほどさ。それが、やがて売れなくなり、カバのエサとして上野動物園に持って行った時期もあった。代わりに入場券をもらったりしてね。水ブームに乗って、先祖代々の井戸水を使っていることをメインにして(スーパーなどに)売り込んだこともあったなぁ。演出家の浅利慶太さんは生前、ウチの豆腐を気に入って、よく買いに来てくれてね。奥さんは今でも買いにきてくれるよ」
敬さんは80歳になった2015年に創業100年を超えたため「キリがいいと思って」引退。現在は3人姉妹の長女である久美さん(60)と利彦さん(56)の夫婦が3代目を継いでいる。
「今は朝5時くらいからですね。前の晩から水に漬けておいた大豆を煮て搾ってできたのが豆乳とおから、豆乳ににがりを加えて固めたものが豆腐になります。大豆は国産でもピンキリ。ウチではカナダ産やアメリカ産の良質なものもブレンドして使っています」
油揚げ、豆腐は出来たてに限る
久美さんがこう話すそばで、利彦さんが豆腐を次々と油の中に入れて生揚げを作り始めた。出来たての熱々を醤油をつけていただいたが、これがうまいのなんの。外側の香ばしさといい、中の豆腐の味の濃さ、なめらかさといい、とにかく絶品としか言いようがない。
「後で焼いたり、温め直したりしても、こうはいきません。生揚げや専用の硬い豆腐を揚げて作る油揚げはもちろん、豆腐も出来たてに限るんですよ」と久美さんはニッコリ。店は朝7時に開店するが、出来たてを求めて7時半くらいから買いに来るお客さんがいるというのも納得だ。
谷中、根津、千駄木を含め、界隈にあった豆腐店は次々と店を畳んだものの、3代目夫婦の長男が4代目になるそうだから、周囲の人たちは当分の間、手作りでうま味たっぷりの豆腐を味わえそうだ。
(崎尾浩史/日刊ゲンダイ)