西洋人にとって日本人の価値観は謎 酔うことは悪魔に隙を与えること
4~5世紀を生きた教父アウグスティヌスはグレゴリオ聖歌に感動する自分を許せず、自らを鞭打った。それほど陶酔には厳格だった。その影響は現代にまで及び、日本人とは「恥」に対する価値観も違う。
私たちにとって肌の露出は当たり前で、母親が街角で子どもに授乳し、混浴の銭湯は江戸期から明治中期まで続いた。黒船で来航したペリー提督らも老若男女が集う銭湯に仰天し、「淫蕩な人民」とまで思ったそうだ。
戦前、日本の統治を受けた中国や韓国の人たちは日本人が素足に草履や下駄を履くのを見て「はしたない」と思ったという。彼らには人前で足を見せるのは恥なのだ。西洋でも足は家族にしか見せないもので、隠された部分への興味がフェティシズムを生み、「シンデレラ」のガラスの靴のイメージにも影響を与えた。
戦国時代の日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスが日本人の風俗習慣について記した「ヨーロッパ文化と日本文化」(岩波文庫)には、「酒に酔うのは我々には恥で不名誉だが、彼らはそれを誇り、『殿、いかがなされた』と問われると『酔っ払った』」と答える」と書いてある。「酔う」ことに西洋人は眉をひそめる。酔って我を失い前後不覚に陥ると、悪魔につけ入る隙を与えるからだ。
花に酔い酒に酔い、恋に酔う日本人は音楽に酔うのも粋であり、美徳だと考えてきた。そんな私たちの心は、西洋人には理解できない大きな謎に映るのだろう。