寒くて痛い佐々木宏氏 “オリンピッグ侮蔑発言”問題の本質
<ブヒー ブヒー/(宇宙人家族がふりかえると、宇宙人家族が飼っている、ブタ=オリンピッグが、オリの中で興奮している。)>
<空から降り立つ、オリンピッグ=渡辺直美さん>
これは飲み屋で展開されるような内輪の話ではなく、オリンピックという国際的な場の演出として出された案である。
3月17日に「文春オンライン」が報じた東京オリンピック(五輪)・パラリンピックの開閉会式の演出を統括するクリエーティブディレクターの佐々木宏氏(66)による侮蔑発言で、佐々木氏は18日に辞意を表明し、橋本聖子大会組織委員会会長が辞任を受諾した。
“女性芸人をブタに見立てた演出”は素人目に見ても、「クリエイティブ」や「アイデア」とは呼べないお粗末な“演出案”といえるだろう。
女性蔑視発言といえば、大会組織委員会会長だった森喜朗氏がわずか1カ月前に会長職を辞退したばかり。その直後の今回の佐々木氏による侮蔑発言。日本の素晴らしさを発信し得るチャンスだった東京五輪が、日本の恥を露呈するような顛末になっているのは本当に残念でならない。
■人間を動物にたとえる差別的な発言
この一件は、先日から問題となっている芸人による「アイヌ発言問題」に続く「人間を動物に例える差別発言」といえる。問題の本質は一体どこにあるのか考えてみたい。
当然、オリンピッグ発言もアイヌ発言も悪意はないのだろう。しかしこの場合、悪意があるかないかは関係ない。
アイヌ発言に関しては、当人がいうように純粋に「勉強不足」であったことが一番の原因と思われるが、佐々木氏の場合は、ダジャレ感覚でいった言葉が他者を傷つける可能性があるという想像ができなかったようだ。そのような人間がトップに立っていたり、メディアに携わっていることが一番の問題であると感じる。
そしてそういう発言を違和感なくできる背景には「自分はそれを言われても平気だから」「自分的には面白いから、相手も面白がってくれるはず」という“価値観の押し付け”があるのではないだろうか?
オリンピッグ発言に関しては、グループ内で批判の声が上がるなどの自浄能力がうまく働いてたが、それが「ヤバいこと」だと指摘されないとわからないことが、情けない話である。
「いじり」と「いじめ」のボーダーライン
そもそも日本には「人をいじって笑いをとる」という発想が根強く存在し、それを良しとしてきたメディアにも責任の一端があることは否めない。
佐々木氏にはもしかしたら「容姿を売りにして笑いをとっているのだから、それを利用するのは当然だ」という傲慢な考えがあったのかもしれない。
そしてこの一件は「いじり」か「いじめ」か? というボーダーラインの難しさ問題にも通ずるだろう。「いじり」というのは、双方の信頼関係に基づき、本人と周りを含むみんなも心の底から笑えているかどうかということが一つの基準と筆者は思う。
しかし「いじめ」に転じる可能性やリスクの方が高く、「いじめ」に転じた場合は誰も幸せにならない。にもかかわらず、なぜ「いじり」文化は無くならないのか?
海外メディアも佐々木氏の侮蔑発言とそれに伴う辞任を報じているが、そもそも誰かをいじって笑いを取る文化自体が世界的に見ても“寒くて痛いこと”なのだと、気づかなくてはならないタイミングなのかもしれない。
(文=水野詩子/ライター、コラムニスト)