乳がんを克服した藤森香衣さん「亡くなった友人の言葉が救ってくれた」

公開日: 更新日:

藤森香衣さん(NPO法人C-ribbons代表)=乳がん

「ステージ0期の非浸潤」という超早期発見だったので、治療は右胸の全摘手術だけ。入院は9日間でした。それだけ聞くと簡単に治ったようですけど、不安や迷いは数多くありました。今なら、「そこは心配しなくていいよ」と言えることもたくさんあるし、これは知っておいた方がいいということもあります。「C-ribbons」を立ち上げたのは、そうした情報をがん患者やがんサバイバーに届けたいと思ったからです。

 私が「乳がんかもしれない」と思ったのは2011年、35歳のときでした。右胸の脇に小指の爪ほどのしこりを感じたのです。「乳がんは動かなくて硬いしこり」といわれることが多いのですが、私の場合は動くし硬めのグミっぽい感触で、「違うかな」と思いながらも乳腺外科を受診しました。

 検査の結果、がんではないと診断されました。「乳がんのピークは40代だからね。心配なら1年半後ぐらいにまた来てみてください」と言われて終わりでした。もしここで、私が安心して何年も放置していたらどうなっていたことか……。

 でも、私の不安はその先生の言葉では消えなかったのです。というのも、この前年、8歳も若い友人が乳がん判明からわずか7~8カ月で亡くなっていたのです。「少しでもおかしいと思ったら受診してね」という彼女の言葉が私を救ってくれました。

 1年後に別の病院を受診しました。そこでも初めの診断は同じでした。ただ、その女性医師は病院を変えて再び検査を受けに来ている私の不安を察知して、「細胞を取って検査しますか?」と提案してくれたのです。

 その結果が「ステージ0期非浸潤の乳がん」でした。その後、がん専門病院での精密検査でさらに2つの腫瘍が見つかり、結局、右胸の全摘手術になりました。それが13年4月です。

 がんを取り除くのと同時に胸の再建手術もしました。エキスパンダーという水風船のようなものを筋肉の下に入れ、退院後に通院しながら少しずつ生理食塩水を入れて皮膚を伸ばしていきます。ある程度の大きさになったら、また全身麻酔の手術で水風船を抜いて、そのスペースにシリコーンを入れて再建が完了でした。

 がんの検診はその後も続き、じつは今でも年に1度は検査をしています。でも今年で丸10年。経過観察も終了となります。

■退院翌月には5キロ走に参加

 乳がんで友人が亡くなったときから、ピンクリボン活動に関わりたいと思うようになって、自分が乳がんになったことでより一層その意を強くしました。小さなことですけど、自分が乳がんの先輩から教えてもらったことで、知っていてよかったと思うことはみんなにも伝えたいと思ったんですよね。

 たとえば、胸を切った方の腕が上がらなくなるから、術前に壁などに“手が届いていた場所”の印をつけておいて術後リハビリするといいとか、高い所の物は下ろしておくとか、脱ぎ着がしやすいように2サイズ上の服を用意するとか、病室ではS字フックが重宝するから大量に持参しよう、といったことです。本当に役に立った知恵なので、これから手術を受ける方にはそんな情報をまとめたものをお渡ししています。

 術後すぐはまるで動けなかったのに、徐々に戻っていって人間の回復力ってすごいものだなと思いました。しかも、退院の翌月にはホノルルで5キロランに参加したのです。ほぼ歩いてましたけどね(笑)。

 それは友人が参加するトライアスロン大会のおまけのコースで、入院前から出場を決めていた話です。先生にその旨を話したら「適度な運動は大いにやってほしい」と背中を押されました。「どうせ走るならチャリティーランにしよう」と寄付を募ったのが、今の私の活動につながる最初の一歩でした。快気祝いに集まってくれた友人に「私、5月に5キロ走るからがん研究のために何かしたい人は寄付して」とお願いしたんです。それで集まったお金を「日本対がん協会」に寄付しました。

 そのご縁から、いろいろながん関連の団体のイベントに呼ばれるようになったんです。気づいたらがん専門医が集まる○○戦略会議で司会をしたりして、関わりたいと思っていたピンクリボンの司会をさせていただくこともできました。「C-ribbons」を立ち上げるに至ったのも、そうしたさまざまな出会いがあったからこそです。

 自分は、胸へのこだわりは強くない方でした。でもいざ全摘となるとやっぱり寂しくて、かわいそうに思えました。他の体を生かすために右胸は犠牲になるんだなって。でも、早期に発見できれば治療も短期間で済む可能性が高いのです。医師らの話ではコロナ禍の影響か、このところ悪化してから来院する人が増えたようです。どうか、小さな違和感でもあればためらわず受診してください。さらにいえば定期的な検診をぜひ受けてください。

(聞き手=松永詠美子)

▽藤森香衣(ふじもり・かえ) 1976年、東京都出身。11歳からモデルを始め、広告を中心に活動。2016年に婦人科系のがんサバイバーを支援するNPO法人「C-ribbons」を立ち上げ、代表を務めている(https://www.c-ribbons.com/)。また昨年、ハワイアンジュエリーブランド「Nahana」を設立。売り上げの一部はC-ribbonsの活動に寄付している(https://nahana-store.com/)。

■本コラム待望の書籍化!愉快な病人たち(講談社 税込み1540円)好評発売中!

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    岡田阪神は「老将の大暴走」状態…選手フロントが困惑、“公開処刑”にコーチも委縮

  2. 2

    肺がん「ステージ4」歌手・山川豊さんが胸中吐露…「5年歌えれば、いや3年でもいい」

  3. 3

    巨人原前監督が“愛弟子”阿部監督1年目Vに4日間も「ノーコメント」だった摩訶不思議

  4. 4

    巨人・阿部監督1年目V目前で唇かむ原前監督…自身は事実上クビで「おいしいとこ取り」された憤まん

  5. 5

    中日・根尾昂に投打で「限界説」…一軍復帰登板の大炎上で突きつけられた厳しい現実

  1. 6

    安倍派裏金幹部6人「10.27総選挙」の明と暗…候補乱立の野党は“再選”を許してしまうのか

  2. 7

    渡辺徹さんの死は美談ばかりではなかった…妻・郁恵さんを苦しめた「不倫と牛飲馬食」

  3. 8

    79年の紅白で「カサブランカ・ダンディ」を歌った数時間後、80年元旦に「TOKIO」を歌った

  4. 9

    阪神岡田監督は連覇達成でも「解任」だった…背景に《阪神電鉄への人事権「大政奉還」》

  5. 10

    《スチュワート・ジュニアの巻》時間と共に解きほぐれた米ドラフト1巡目のプライド