大山加奈さん椎間板ヘルニアと闘い「死んだほうが楽だ」と

公開日: 更新日:

大山加奈さん(元バレーボール日本代表・36歳)=椎間板ヘルニア・脊柱管狭窄症

「よくこんな状態でバレーボールやってたね」

 医師にそう驚かれたのは、2008年の京大病院でのことでした。その年の8月、北京五輪が開催されている真っ最中に私は「椎間板ヘルニア」と「脊柱管狭窄症」の手術を受けていました。

 腰痛は小学6年生ごろからありました。中学に入るころには腰のサポーターが欠かせないくらいでした。特にレシーブの姿勢をキープするのがつらかったですね。今思うと、体がしっかり出来上がる前にスパイク動作を過度に繰り返していたことが影響していたのだと思います。

 高校生になると左脚の外側に突っ張る感覚を覚えて、実業団に入って相談すると「すぐにMRIを撮ってきなさい」と言われました。結果は「椎間板ヘルニア」でした。でも深刻な状態ではなかったので、トレーニングして体をしっかりつくっていこうと考えていました。

 ただ、実業団と日本代表の両方でプレーしていたので、ワールドカップ直後にリーグ戦があり、休む間もありません。忘れられないのはリーグ戦の終盤、試合中に立てないくらいの痛みになり、次のセミファイナルを欠場したことです。私は泣きながら「絶対に出る!」と言い張ったのですが、監督は「絶対出さない」とどちらも引かず、2時間説得されての欠場でした。その時は悔しかったですが、今は、ああやって守ってくれる監督でありがたかったと思います。

 その半年後にはアテネ五輪があったので、すぐに日本代表の練習に参加しました。もう、痛いからといって休むこともできません。一番年下の私は練習後の治療(針やマッサージなど)がいつも最後で、終わると深夜1時でした。それでも、朝練(自由参加)に出ないと「甘い」と言われ、心も体もボロボロでした。 そんなアテネ五輪の後は、きちんと体を立て直そうと思い、半年間は一切ボールを触らずにひたすら筋力トレーニングに励みました。腰に負担がかからないようなフォームの改善にも時間を費やしたのです。でも、いざ国際大会に出てみると、フォームは元に戻ってしまうし、腰痛も再発して……。その後も復帰とリハビリを何度も繰り返しました。

 痛みがピークに達したのは07年です。ちょっと動くだけでお尻からふくらはぎまで両足にしびれと痛みがビーンと走るんです。

 寝返りしただけでうなってしまうくらい……。生きているのがしんどくて、「死んだほうが楽だ」と思ったほどです。

 治してくれる腰専門病院を探して日本各地を回ってみましたが、どこでもヘルニアの手術を勧められました。2週間つけっぱなしの点滴治療も試しましたが、効果は薄く、ついに08年の北京五輪出場を断念することにしました。

■手術せずにバレーをやめてしまおうと考えていた

 その後に向かったのが京大病院です。そこで脊柱管狭窄症が見つかり、椎間板ヘルニアとの同時手術を決めました。

 手術は背骨を割って、癒着組織を取り除き、椎間板を広げるといった内容でした。手術の怖さや、復帰できる可能性が100%ではないことを考えて、実は「いっそ手術をせず、バレーをやめちゃおう」と思っていました。

 翌日になったら監督にそう言おうと決心していた夜、なかなか寝付けないベッドの中で「この手術を受けて現役復帰したアスリートはいない」という医師の一言を思い出し、「それなら私がその第1号になればいいじゃん」という発想が浮かびました。もしもそれが実現できたら、同じ病気で悩むさまざまな競技の選手たちにとって、希望になるじゃないですか。そう思ったら、急に怖かった手術が怖くなくなったのです(笑い)。

 術後は痛みとしびれから解放されて、本当に幸せでした。友人、知人もみんな「よかったね!」と喜んでくれましたし、自分でも第二の人生が始まった気がして、かつてないほどハイテンションで練習を再開しました。

 ところが、何カ月たってもスパイクの感覚が戻りませんでした。それは不安であり恐怖でした。そのうち腰に痛みも出てしまい、病院に行くと「炎症がある」と言われました。炎症は治せば問題ないものでしたが、「またリハビリ? 何回続くの?」と思ったらそこで心が折れてしまって、引退を決意したのです。何年も活躍できない私を応援してくれた人、サポートしてくれたチームや会社に申し訳なくて、悩んだ末の決断でした。

 自分で経験したことで、病気と闘っている人の気持ちがわかりました。病気をする前はリハビリしている選手が楽そうで羨ましかった。でも、自分がなってみたら楽なことなんてひとつもない。特に「心」がつらいんです。病気で得た経験は、引退後の人生、指導者としてもとてもいい財産になりました。

 スポーツ界では、有望な若い選手が途中で潰れてしまうことが本当に多いんです。年齢や成長の段階に応じた指導が求められていると思います。私の経験を正直に伝えていくことが、そのきっかけになるかもしれないので、今後も発信していこうと思っています。

 今も長く歩くと痛みが出たりしますけれど、夫がスポーツトレーナーなので、緊急時にはマッサージしてくれます。本当は普段から予防的にやってほしいんですけど、それはダメみたいです(笑い)。

(聞き手=松永詠美子)

▽おおやま・かな 1984年、東京都生まれ。小学2年生から地元のバレーボールクラブに入団し、小中高すべての年代で全国制覇を経験する。17歳で日本代表に選ばれ、高校卒業後は「東レ・アローズ」に所属。オリンピック、世界選手権、ワールドカップという3大大会すべてに出場を果たす。2010年に現役を引退。現在は講演活動、バレーボール教室や解説者の仕事などを通してスポーツやバレーボールの発展に尽力している。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    岡田阪神は「老将の大暴走」状態…選手フロントが困惑、“公開処刑”にコーチも委縮

  2. 2

    肺がん「ステージ4」歌手・山川豊さんが胸中吐露…「5年歌えれば、いや3年でもいい」

  3. 3

    巨人原前監督が“愛弟子”阿部監督1年目Vに4日間も「ノーコメント」だった摩訶不思議

  4. 4

    巨人・阿部監督1年目V目前で唇かむ原前監督…自身は事実上クビで「おいしいとこ取り」された憤まん

  5. 5

    中日・根尾昂に投打で「限界説」…一軍復帰登板の大炎上で突きつけられた厳しい現実

  1. 6

    安倍派裏金幹部6人「10.27総選挙」の明と暗…候補乱立の野党は“再選”を許してしまうのか

  2. 7

    渡辺徹さんの死は美談ばかりではなかった…妻・郁恵さんを苦しめた「不倫と牛飲馬食」

  3. 8

    79年の紅白で「カサブランカ・ダンディ」を歌った数時間後、80年元旦に「TOKIO」を歌った

  4. 9

    阪神岡田監督は連覇達成でも「解任」だった…背景に《阪神電鉄への人事権「大政奉還」》

  5. 10

    《スチュワート・ジュニアの巻》時間と共に解きほぐれた米ドラフト1巡目のプライド