1975 ~そのときニューミュージックが生まれた
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映像で体感できる矢沢永吉特注「琵琶ベース」の見事なグルーヴ
キャロルの解散コンサートは映像が商品化されている。 私はDVDだけでなく、その前にVHS版も買ったのだが、その内容には本当に大満足した。 買うならCDではなくDVDだ。何といっても、…
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解散コンサートでのユウ岡崎の圧巻のドラムプレイはもっと語られるべき
キャロルの解散コンサートについては、この連載では「1975年までの矢沢永吉」の回で、すでに触れている。というわけで、今回及び次回は、その模様を収めたライブアルバムについて解説したい。 タイト…
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「ミスター青春ドラマ」が見据えた青春が終わった先
「ミスター1975年」といっていい存在だ。 前年放送、いわゆる「青春ドラマ」である日本テレビ系「われら青春!」の主役を務め、同ドラマ挿入歌の「ふれあい」が大ヒット。 続く今回の曲は、同…
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「カックラキン」で開花したコメディーの才能がなければ…
連載を書くことは勉強になる。 今回、新御三家について調べて、いろいろなことが分かった。特に野口五郎については、もっとも発見が多かった。 ▼野口五郎のデビューがいちばん早い(1人だけ19…
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西城秀樹のスケールはシングル1枚に収まりきらないほどデカ過ぎる
1972年のデビューから4年目を迎えた西城秀樹。すでに大人気となっていたのだが、75年のシングル4曲のラインアップは、個人的には、それほど印象的なものではない。 「この愛のときめき」「恋の暴走…
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ゴールデンコンビ「橋本淳×筒美京平」のメロディーに乗って躍動し始める
今回から3回にわたって、特別編として「1975年の新御三家」について書く。 新御三家。すなわち、郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹である。ちなみに(旧)御三家とは「西郷輝彦、橋幸夫、舟木一夫」。 …
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苦境脱出の賭けに出た野音に「壁にむかって」が響いた
愛奴の「失敗」(とあえて言う)は、プロデュースの不在ということに尽きると思う。 結果、バンドとしてのコンセプトが曖昧のまま、バラバラな音楽性、チグハグなアイデアが、一緒くたになってしまった。…
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ソロデビュー曲で歌われる 熱い思いを感じる3曲
アルバム「愛奴」に収められた浜田省吾がリードボーカルの4曲を聴く。 まずは1曲目の「愛奴のテーマ」。いきなりつまずく。変な曲だなぁ……。 田家秀樹はこう表現する。「陽のあたる場所 浜…
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不発の要因は個性を打ち消すバンドの「民主主義性」にある
愛奴のシングル「二人の夏」は期待むなしく売れなかった。そして同日に発売されたアルバム「愛奴」もまた売れなかった。 と書いて、まずやっぱりバンド名(=タイトル名)「愛奴」がしんどいと思ってしま…
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会議室で拍手が沸き起こったほどの良曲は売れなかった
記念すべき愛奴のデビューシングル。 作詞・作曲は浜田省吾。しかしリードボーカルは浜田ではなく、ギターの青山徹が担当した。のちに浜田が大ロックボーカリストになることなんて、メンバーどころか、浜…
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本気で形から入った浜省のビーチ・ボーイズへの憧憬
バンド「愛奴」のメンバーとしての浜田省吾のデビュー曲。 メンバーは5人。青山徹(ギター)、町支寛二(ギター)、山崎貴生(キーボード)、高橋信彦(ベース)、そして浜田省吾(ドラムス、パーカッシ…
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浜田省吾が吉田拓郎のバックバンド時代にやらかしたシンバル転倒事件
「おい、浜田がな、今ドラム叩いとるらしいぞ」 石田伸也「吉田拓郎 疾風伝」(徳間書店)という本にある、浜田省吾の同級生が耳にした言葉である。 1972年に結成されたバンド「愛奴」で、浜…
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浜田省吾の父親が「生き地獄」の広島に向ったA.A.B.から80年
1975年、愛奴というバンドの一員としてデビューする浜田省吾について書くために、浜田敏太氏について書く。 浜田省吾の父親である。その名も「FATHER'S SON」(88年)というアルバムが…
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多くの「ニセフォルニア」を生んだ西海岸ブームの導火線に
前々回取り上げたクイーン、前回のカーペンターズに比べたら、1975年段階での日本における人気や売り上げは、それほどではなかった。しかし、この年あたりから、日本でも支持され始めるのが、イーグルスである…
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「美空ひばり」がいたからカレンの美声は日本の「国民的洋楽」になった
当時もっともよく売れた「1975年の洋楽」といえば、何といってもカーペンターズである。 75年6月発売のアルバム「緑の地平線~ホライゾン」は、約20万枚を売り上げ、週間チャート1位に輝いた。…
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お得に感じる音の詰まった極致がクイーン「ボヘミアン・ラプソディ」
今日から3回、「特別編」として「1975年の洋楽」を語ってみたい。 今よりも、ずっとずっと洋楽が「偉かった」時期である。邦楽は「ニューミュージック」も歌謡曲も「洋楽に追いつけ追い越せ!(でも…
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乗り気でなかった阿久悠が、岩崎宏美も手がけてくれて本当によかった
シングルジャケットを眺める。どこかの森の中で撮影されたのか、木々をバックにした少女の覇気のない顔つき。さらに「二重唱」「デュエット」という字体も、何とも冴えない。 まさかこの少女が、半世紀後…
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黄金のトライアングル結成の決め手は「ザ・フォーク歌謡」とでもいうべきメロディー
きょう6月25日は、沢田研二77歳の誕生日。 1975年の「ニューミュージック」系ヒット曲を、発売順で論評しているこの連載だが、今回は特別に、ジュリーが「喜寿リー」になるのを祝い、最大のシン…
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ポップの本質からズレた、山下達郎の一連の発言への違和感
この4月に発売されたシュガー・ベイブ「SONGS」の50周年記念盤はCD2枚組で、ディスク2には、1994年5月に中野サンプラザで行われた「山下達郎シングス・シュガー・ベイブ・ライブ」の音源が収録さ…
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アルバムの印象をふくよかにする大貫妙子の存在感
1994年に中野サンプラザで行われた「山下達郎シングス・シュガー・ベイブ・ライブ」のパンフレットが、私の寝室の本棚から発掘された。物は捨ててはいけない。これぞ「S(シュガー・ベイブ)DGs」だ。 …