人間出生図巻
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大原麗子「〈常在戦場〉の女優論」(3)よき理解者であり介護役に伝えた“最後の言葉”
「ふざけんじゃねーよ! 何回電話をしたら出てくるんだよ!! こっちを誰だと思ってるんだ。わざわざ電話をかけて、てめえにいろいろ教えてやろうとしてんじゃねーか! 居留守ばっかり使いやがって、何様のつもり…
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大原麗子「〈常在戦場〉の女優論」(2)「家庭に男は2人いらない」それだけのパワーが麗子にはあった
ギラン・バレー症候群は、末梢神経の障害によって脱力やしびれなどの症状を引き起こす病気である。発症率は十万人にひとりかふたりとされる。一九七五年に大原麗子がこの病気を発症したとき、満足に箸も持てず、自…
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大原麗子「〈常在戦場〉の女優論」(1)根深かった父親との確執
大原麗子(本名同じ、のちに飯塚麗子)は一九七〇年代から八〇年代にかけ、日本の国民的女優のひとりだった。 ──すこし愛して、 ながーく愛して── 七七年から十三年間続いたこの…
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萩原健一「不良ランナーの孤独」(3)「おふくろは、自分が死ぬことで放蕩息子の不始末を世間にお詫びした」
「前略おふくろ様」で好評を博したショーケンはテレビの仕事をこなしながら、神代辰巳監督の「アフリカの光」(一九七五年)、野村芳太郎監督の「八つ墓村」(七七年)、黒沢明監督の「影武者」(八〇年)、蜷川幸雄…
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萩原健一「不良ランナーの孤独」(2)「(傷天の)修と亨って本当は在日朝鮮人という設定なんです」
映画の世界に身を投じた萩原健一=ショーケンは、いきなり注目の人になった。サード助監督として斎藤耕一監督の撮影に加わった直後、偶然が重なり、「約束」(一九七二年)で岸恵子の相手役をつとめることになった…
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萩原健一「不良ランナーの孤独」(1)敬三にとって萩原家はアナーキーな感覚に満ちた場所だった
アラン・シリトー原作のイギリス映画「長距離ランナーの孤独」(一九六二年)では、労働者階級の不良少年が偽善的な権力者に無垢な反抗精神を見せつけ、さわやかな感動を残した。日本で映画化するのであれば、主演…
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テレサ・テン「台湾の歌姫と天安門事件」(3)彼女の切々たる歌声は観衆に深い感銘をもたらした
天安門事件を受け、香港で中国民主化支援コンサートのステージに上がったテレサは、およそ三十万人の大観衆に向かってこう訴えた。 「ありがとう。みなさん本当にありがとう」「その歌をわたしはこれまで歌…
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テレサ・テン「台湾の歌姫と天安門事件」(2)父母の祖国で大衆を前に歌ってみたいという夢は天安門事件ではじけ飛んだ
「白天聴老鄧、晩上聴小鄧」。これは一九八〇年代に中国ではやったブラックジョークで、「昼間は鄧小平の話を聴き、晩は鄧麗君(テレサ・テン)の歌を聴く」という意味になる。 このジョークの背景には、中…
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テレサ・テン「台湾の歌姫と天安門事件」(1)シンデレラストーリーの背景には台湾ならではの事情が
中国大陸における国共内戦(国民党と中国共産党の戦い)に敗れた蒋介石が台湾へ国民党政府(中華民国)を移した一九四九年、テレサ・テンの両親も大陸から台湾へ逃れた。父親は国民党の陸軍軍人だった。それから四…
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松田優作「国籍の重さと女の重さ」(3)四十歳で〈コイン〉を使い切った
優作の死を取材する(松田)美智子は釈然としないまま、優作が仕事を通じて「濃厚な関係を築いた」(「越境者 松田優作」松田美智子、以下同)という数少ない女友達の桃井かおりに会う。桃井の優作評は、美智子の…
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松田優作「国籍の重さと女の重さ」(2)「ブラック・レイン」撮影後、医師に叫んだ言葉の意味
「俺をおまえの家の養子にしてくれないか」(「越境者 松田優作」松田美智子、以下同) ふたりで散歩する途中、優作は何の前ぶれもなく美智子に申し入れた。そしてある夜、「本当のことを知れば、おまえは…
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松田優作「国籍の重さと女の重さ」(1)国籍問題への沈黙は、差別という暴力に対する正当防衛だった
「──僕は今年の七月から日本テレビの『太陽にほえろ!』という人気番組にレギュラーで出演しています」「現在は松田優作という通称名を使っているので、番組の関係者にも知られていませんが、もし、僕が在日韓国人…
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藤圭子「空腹とニヒリズム」(3)二十八歳で引退…普通に歌のうまいベテランとして生き延びる選択肢はなかった
まだまだ人気の頂点にあった一九七一年六月、藤圭子はクール・ファイブの前川清と電撃結婚した。圭子は十九歳。前川は二十二歳である。この結婚は、澤ノ井のマスコミ戦略に対する反発でもあった、と圭子は語る。具…
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藤圭子「空腹とニヒリズム」(2)大衆、インテリ、夜の街の女…彼らは藤圭子に自分を重ねた
一九六九年九月二十五日に発売された「新宿の女」はすぐにはブレークしなかったものの、翌七〇年に入ると一気に火がついて三十万枚を超え、二月には五十万枚を突破。二月五日に第二弾の「女のブルース」を発売する…
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藤圭子「空腹とニヒリズム」(1)歌うことはすなわち家族が食べていくことだった
人はおよそ貧乏に生まれることを望まない。しかし、生まれ育ちが本人の意思で選べない以上、自力で底辺から這い上がってきた者は、それだけでスターとなる資格を持つ。作家の五木寛之が〈怨歌〉の歌い手と定義した…