釜本邦茂が語る「ガマッチョの真実」
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早大蹴球部で再会…1学年上の森孝慈さんは浪人して一般受験で合格していた
高校選びで父・正吉と意見が真っ向から対立したけど、大学を決める時もひと悶着あった。 戦前から三菱系の企業で働いていた父の願いは「京都・太秦の自宅から通える関西学院大に進んで三菱重工に入社する…
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強豪・山城高に入学したくてハンストをやったというのは“デマ”や
奈良県出身の父・正作は、関西大で勉強しながら「弁護士を目指していた」と母・よしこから何度も聞かされた。それから「弁護士の妻になれると思って嫁いでみたら……だまされたわ」とボヤくのが常やったが──。 …
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釜本家では「地震・雷・火事」ときて最後は「オフクロ」だった
現役時代というか、今でもそうだが、自分の背丈は「179センチ」ちゅうことになっている。本当は181センチ。生まれた当時は「大男総身に知恵が回りかね」という言葉が一般的やった。高身長は「動きがのろくて…
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野球じゃなくてサッカーを選んだのは、姉という「陰の仕掛け人」がおったから
メキシコ五輪得点王の看板をぶら下げて「W杯に出場してドイツでプロになる」と思っていた矢先にウイルス性肝炎にかかった。25歳やった。絶対安静で療養に専念。女性のウエストほどあった太ももが、みるみるうち…
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ウイルス性肝炎で50日間の強制入院 イメージ通りに体が動かなくなった
1969年6月中旬にウイルス性肝炎と診断されて兵庫・西宮病院に強制入院となった。感染経路は不明。前年のメキシコ五輪から過密日程が続き、2月にはインドネシア、カンボジア、マレーシア、タイ、シンガポール…
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ドイツ移籍を決断した矢先、猛烈な腹痛…監督に「おまえ、目が真っ黄色やないか」
1968年メキシコ五輪の銅メダルと得点王を手土産にドイツのプロクラブに移籍することを決意し、五輪後に再開されたJSL(日本サッカーリーグ)でも好調を維持することができた。 JSLのお荷物とい…
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「なぜドイツに移籍しなかった?」何度も聞かれた質問、今の釜本の答えはこうや
1968年メキシコ五輪で銅メダルと得点王のタイトルを獲得すると海外のプロ6クラブから誘われた。ドイツ1部の1860ミュンヘン(現3部)、五輪本大会の10カ月前に留学していた2部ザールブリュッケン(現…
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「メキシコ五輪得点王」になって海外の6つのプロクラブから誘いを受けた
メキシコから帰国したのが1968年の10月28日の午後10時前くらい。 羽田空港で大勢のサポーターたちの出迎えを受け、テレビカメラのまぶしいライトを浴びながら歩く……なんてイマドキの光景はなかった。…
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メキシコ五輪直後の「世界選抜チーム」入りは結婚式があるので断った
1968年10月24日にメキシコ五輪の3位決定戦でメキシコを破って銅メダルを獲得し、25日は自由時間だったので選手村で同室だった早稲田大3学年先輩の松本育夫さん、関西大OBでヤンマーの1期後輩だった…
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「それって何ですか?」アジア人初の五輪得点王の裏で起こっていたこと
1968年メキシコ五輪の3位決定戦で開催国のメキシコを破った日本代表は、サッカークレージーだらけの地元メキシコ人にしてみたら「銅メダルを持ち去った憎きハポン(日本)」ということになるが、彼らは日本に…
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1968年メキシコ五輪表彰式では、なぜか岡野コーチの首に銅メダルがぶら下がった
1968年メキシコ五輪は、開催国メキシコもアジア代表の日本も、参加16カ国が等しく「中1日」の強行日程を強いられた。 10月24日の3位決定戦も、22日の準決勝から「中1日」でキックオフされ…
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代表デビュー戦の最中に直立不動で八重樫主将の説教を聞いた
メキシコ五輪で銅メダルを獲得した日(1968年10月24日)の夜、選手村の食堂で祝勝会が開かれた。メキシコ入りしたのが、ちょうど1カ月前の9月25日。10月14日の初戦から中1日6試合の過密日程で選…
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銅メダル獲得の祝勝会での粋な計らい…長沼監督がビールもたばこもOKの大盤振る舞い
1968年10月24日午後3時30分。銅メダルをかけた3位決定戦がキックオフされた。ホスト国メキシコを相手に前半を2-0とリードして折り返したが、後半は実力上位のメキシコの怒涛の攻めにさらされ、自分…
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地元メキシコファンから「ハポン!ハポン!」とまさかの大声援が
メキシコ五輪の3位決定戦・メキシコ戦のハーフタイムだった。ロッカールームに引き揚げると日本サッカーの父・クラマーさんが入って来た。 そして落ち着いた物言いで檄を飛ばした。 「3位になっ…
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殊勲のPK阻止 走り寄る歓喜のイレブンを尻目にGK横山さんは沈着冷静だった
「前半の殊勲者は2得点を決めたガマ。そして後半の殊勲者はPKを止めたGKのヨコヤマだ」 1968年メキシコ五輪の3位決定戦でホスト国メキシコを2-0で打ち負かし、銅メダルを獲得すると「日本サッ…
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銅メダルをかけたメキシコ五輪3位決定戦の2点目はトラップミスやった
1968年メキシコ五輪の3位決定戦は、ホスト国メキシコが相手やった。アステカスタジアムには、10万5000人の大観衆が詰め掛けた。 前半17分に決めた先制点は、当たり損ないのボールが、ゴール…
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相手GKもビックリ! メキシコ戦の先制点、実は当たり損ないのミスキックやった
メキシコ五輪のサッカーは「中1日」のハードなスケジュールやった。 1次リーグ3試合、準々決勝、準決勝、そしてホスト国メキシコとの3位決定戦。試合やってオフ、試合やってオフ……の繰り返し。そり…
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メキシコとの3位決定戦は完全アウェー状態、勝機は日本にあった
メキシコ五輪の3位決定戦(1968年10月24日)の試合会場は巨大スタジアムのアステカやった。収容人数は立ち見席を含めると12万人とも13万人とも言われていた。 3年前に建てられたばかりの新…
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メキシコ五輪準決勝でハンガリーに大敗…クラマーさんが沈鬱ムードを払拭してくれた
1968年メキシコ五輪準決勝・ハンガリー戦は0-5の完敗に終わった。 試合前夜、馴染みの地元レストラン「リンコン・ガウチョ」に集まった。 いつものようにFIFAの技術委員としてメキシ…
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釜本邦茂が自ら語る「ガマッチョ」と呼ばれるようになった由来
メキシコ五輪の3位決定戦・メキシコ戦を振り返る前に、今回の連載のタイトル「ガマッチョ」について話してみよか。 それなりにサッカー界で名を成せたのは、まずは頑強な体を授けてくれた両親のおかげや…